生きづらさを描く:熊倉献

戦争を知らない子供たち』という歌があります*1

1970年に大阪万博で発表された曲であり、その後日本の代表的な反戦歌として知られている曲です。しかしながら、私はこれを世代間の溝をこれ以上ないほど見事に取り上げてみせたタイトルだと思っています。

この曲の作詞者作曲者はいずれも戦後生まれです。飛来してくる爆撃機や戦闘機、巨大な砲弾を撃ち込んでくる戦艦におびえたことのない世代です。彼らの世代は、そういった経験を想像でしか知りません。彼らの親の世代は、この世代がそんな経験をしたことはないと頭では知っています。しかしながら、両者の間には形容しがたい溝があるのだということをこの曲のタイトルは良く表しています。

私は戦争を知らない世代に含まれます。一方で、私の世代はおおむね経済が右肩上がりであり、10年後に振り返れば「昔より世の中は良くなった」と多くの人が考える時代に生まれ、進学し、社会に出ました。

一方、今の若い人は生まれた時からずっと経済が退行していく様子を見ています。

 

生きづらさ、と言う言葉を目にします。

目にするようになったのはここ数年の気がします。私の場合はSNSから入ってきた言葉です。小学館のディジタル大辞泉をもとにしたgoo国語辞書には「生きづらい」「生きづらさ」といった言葉は掲載されていません。一方で、厚生労働省には「生きづらさを感じている方々へ」という呼び掛けと、対応可能なセーフティーネットの案内があります。ある種のコミュニティの中では十分に通用する言葉であるようです。

SNSで受け取った文脈からなんとなく意味は把握でき居るのですが、じゃぁ、といわれると説明しずらい言葉です。おそらくは、経済的・健康的・災害的な理由ではなく社会的な摩擦や暗黙の圧力などによって、生きていく気力を削られていくような状態でしょう。

本来、経済、健康、災害、動乱、犯罪などの理由以外では人間は生きることがつらいなどという状態になってはいけないはずです。それが我が国の憲法の理念のはずです。しかしながら、我々は社会的なしょうもなさ*2によって、陰湿な差別や、排斥、抑圧、加害、行動制限が行われていることを知っています。生きづらさ、と言う言葉はそういった状況に置かれていることを表しているようにも思えます。

我々の社会に横たわるこういった問題は、ずっと前からありました。ということは生きづらさと言う言葉が浮かび上がってきた背景には、それが私の世代では経済的繁栄というカーテンに隠れて*3、大きく表に出てこなかったという事情があるようです。カーテンが外されて、生きづらさを多くの人が感じているとわかるようになったのでしょう。

熊倉献『春と盆暗』はそういった生きづらさにあえぐ人たちを描いた短編集です。

つまらない客の対応をするたびに心の中で標識を月に投げつけている店員、溺れそうな毎日の中で懸命に息継ぎを繰り返す会社員、ティラノサウルスが好きだと書いただけで延々とゴミを投げつけられる少年。ひょうひょうとした筆致で描かれているものの、いづれも読むだけでこっちの気が詰まるような状況です。平気で他人にくってかかり、息が詰まるような毎日を当たり前とうそぶき、のっぺりと均質でなければ異物として排除しにかかってくる我々の社会の縮図のような話ばかりです。

幸いにも、この短編集で描かれる生きづらさを抱えた人々には救済があります。それらはいずれも社会的正しさとは外の、やはり一風変わった人から差し伸べられる手です。

例外的にちょっと変わった男性がちょっと変わった女性と知り合うだけの作品もありますが、よくよく読むと二人とも現在から逃げるように滅亡した未来を夢見ており、これも互いが互いの救済をコミカルな形で見つけた話とも言えます。

さて、熊倉献のもう一作は連載中の長編『ブランクスペース』です。

何度告白してもそのたびに振られる主人公ショーコ。素っ頓狂で感情の振れ幅がストレートに表に出てしまう彼女は、失恋に落ち込んでいたある日、偶然クラスメイトのスイが持つ特殊な能力を知ってしまいます。

私は、このなんとなく自分の人生はうまくいっていないと感じるショーコと、クラスの中でなんとなく孤立しているスイがお互いを補い合っていく物語になるだろうと思いながら読んでいました。

ところが、1巻からしてうめき声をあげたくなるよう展開になっており、2巻に至っては実際に読みながらうめき声を漏らしてしまいました。

1巻の冒頭に象徴的に表れる「星を切り抜いた空白」、何もない空から突如として落ちてくる巨大な見えない斧、ショーコの突拍子もない、そして空恐ろしい提案、二人の間から町中へと広がっていく謎。

2巻読了時点では、良い意味で話の行き着く先が全く見えません。

『春と盆暮』にしろ『ブランクスペース』にしろ、光をあてられているのは社会的標準から外れたところで居心地の悪さを感じる人々です。『春と盆暮』はそういった人に救いの手が差し伸べられるコメディでしたが、『ブランクスペース』にはその絵柄に似つかわしくない不気味さが横たわっています。題材が題材だけにコメディ要素が抜けると一気に不気味になってしまい、読むほうも緊張を強いられます。

救済は与えられるのか、それとも全く違う恐ろしいことが始まるのか、続巻が待ち遠しいです。

*1:フォーク・クルーセイダー

*2:つまり我々自身のしょうもなさ

*3:あるいは隠されて

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