14 くらやみの速さはどのくらい

近い未来。自閉症の治療に光が見えてきて、幼児期に始めればいくらかの効果が見込めるようになった頃を描いています。主人公のルウは製薬会社で支援を受けながらパターン認識による研究の仕事をしています。彼の上の世代にはなかった治療を幼児期に受けたことで、社会で車の運転や日常会話、スポーツなどはそこそこ不自由なくこなせます。それでも、目で見、耳で聞くことには過剰な注意力を払い、話し相手のジェスチャや慣用句の意味を理解出来ずに苦労し、対人関係の悪化に恐怖します。既に自閉症をほぼ完全に治療する方法は開発されていますが、それも幼児期の治療が必要であり、ルウの下の世代しか恩恵を得ていません。
これは、周りからノーマルになれ、お前はおかしいと言われ続けて育ったルウから観た世界を描く小説です。
物語2/3位は読み進めるのが苦痛でした。ルウは自分が自閉症*1であることを認識しており、ノーマル*2のように振る舞おうとしますが、ノーマルとのコミュニケーション・ギャップは埋めようもありません。本書では彼から観た世界だけではなく彼の外から見た世界も描かれており、ルウが(ノーマルによる)コミュニケーションの方法を理解していないために、善意で彼と話す人が受けるショックも読者にわかるようになっており、それが一層心を紙やすりでさするような気持ちにさせます。
私は神経質なため、大きな音や無神経な言動にルウが苦しむ場面に不必要に共感してしまいました。途中で読むのをやめようかと思ったくらいです。
物語の中盤からコスト削減のために介入してきた上司による、実験参加への違法な強制はルウに自分の脳への関心を呼び起こさせ、残りわずかな時間で自我への問いかけを繰り返させます。
作中、ルウが教会で司祭の話を聞いたあとに彼とその点で話をする場面が一つのクライマックスになっています。ルウは、自分の障害は神がもたらした試練ではないという自分の見解を述べたあと、次のように言います。

「あるひとたちはうまれつきこうなのです。でももしこれが神のしたことだとしたら、それを変えることは間違いではないでしょうか」
彼は驚いた顔をする。
「でもみんなが、できるかぎり変わるようにと、できるかぎりふつうになるようにとつねにぼくに望んできました。もしそれが正しい要望なら、彼らはその障害が−自閉症が−神のあたえたものだとは信じられないはずです。そこがぼくにはよくわからないのです。」

ルウは実験に強制されるのは嫌だ、今のままの自分でありたいと考えながら、それでも司祭の説話に心を乱され、自分は病を治すために一歩踏み出すべきなのかと考えます。結果的に彼はその問いに対して自分自身で結論を出します。
ルウには会社の外に暖かく接してくれる友人が居ます。その一人であるトムの描写にはさりげない深さを感じます。彼はあるがままのルウを友人として受け入れ、ルウの目を見張るような成長に喜びながら、一方でルウが治療を受けることをルウ自体が別の人格になることだと解釈している節があります。ルウを受け入れてはいるものの、自分が好きなのは自閉症のルウであり、おそらくは自分たちが作らなかった子供の代わりに、自分の手の中だけで育つルウであってほしいと思っています。そして自分がそう思っていることに内心苦しんでいた様子がかすかに感じられました。
最後のシーンのトムが印象的でした。

*1:巻末の解説ではアスペルガー症候群に近いと説明されている

*2:作中で使われる健常者をさす言葉

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