渡航の自由と国家の義務

書きたくない、もう書きたくないと思いつつイラク問題についてまた書いてしまうのは、どうやらこの問題から浮かび上がってくるのが個人の国家感であるからのようです。
最近取りざたされる「自己責任」問題ですが、かなりいかれた方向に突っ走っているように思えます。イラクのような特殊地域への渡航者が自身の安全を「自己責任」において管理するのは当たり前で、論ずる価値すらありません。それ以前の問題として日本の内外を問わず地球上のどこであろうと、日本国民は自分の身の安全を自己責任で管理しているはずです。違いますか?*1
ですから、イラクでの安全確保が自己責任で行われるべき、というのは当たり前のことなのですが、これが「日本政府は助けなくてよい」という話に一足飛びに飛躍する発想が私には理解できません。そんなことはないはずです、世界のどこであれ、テロにあった人が日本国籍を持っているというその一点さえ満たせば同胞であり、日本国は手を尽くしてその人を救うべく努力すべきです。少なくとも私は国家とはそういうものだと思っています。専制政治ならともかく、主権在民の国で「その国は危ないから、いったあんたが悪い。一切手はかさん」などという国策などあっていいはずはありません。幸い、今回の政府はきちんと人質解放に向けて努力しました。
ところがここに来て「勧告は危険を知らせるのに十分効力があったか」という幼稚園でしか通用しないような意見が現れ、それと呼応するように勧告より強い法的束縛力を与える禁止令を策定したらどうかなどという意見が出る始末です。
あほか。
自分が渡る国の危険度すら測れない輩がいっぱしの口をきくんじゃない。この手のおしめ議論はうんざりです。勧告で十分です。それを承知の上で危険地帯に報道のために入る。それで十分ではないですか。
今回の騒動の本質は、

  • 戦地で当然予想される問題と、自衛隊派遣問題のすり替え
  • テロリストを一切批判せず、政府にテロリストと同じ政治的要求を突きつけた家族
  • 国が救出のために骨を折ったにもかかわらず感謝の言葉すらない傲慢さ

といった奇異な言動に対するヒステリックな反応でしかありません。いまだにこんな問題がおきたのは自衛隊を派遣したからだと言って譲らないジャーナリズムがありますが、軍を派遣していない国の国民も人質にとられたことはみんな知っています。そもそも自衛隊は軍事行動を行っていません。
この国が右傾化していると憂う人が何人もいますが、私が一番憂鬱なのは、この国がいつもヒステリックな集団行動の中に安心感を見出すことです。世論が右傾化した瞬間に一億総全体主義者に走り、戦争に負けたとたんに全員が左に走る、そして右、そして左。メーターの針は常にどちらかに振り切っています。
正直言って、北朝鮮拉致被害者返還以降に頭を覗かした一部の外国人排斥的な論調には、高校時代から右翼呼ばわりされていた私ですら閉口しました。恐ろしいのははじめは一部であっても、それに同調する人がたくさんいたということです。右翼のはねっかえりが社会現象になるなどこの国ではないと思っていただけに背筋の寒い思いをしました。
そして今回の反動主義的な世論と、あいも変わらず夢幻のようなことをわめき散らかす左翼の対立。
太平洋戦争に負けて全体主義的な価値観が地に落ちたとき、本当にすべきだったのは「一人一人が考えて、それをみんなで話し合ってよい方向に向けるようみんなが努力する」価値観を広めることだったのですが、残念ながら定着したのは労働ソビエト、学生ソビエト的な反動主義でした。その本質は「話し合いの拒否と、無批判な集団行動」の消極的肯定である点で戦前の全体主義から一歩も前進していません。結局のところ反権力全体主義という奇妙なものがはびこっただけです。
言い換えれば、「大日本帝國万世一系天皇之ヲ統治」から「日本国は万世一系平和憲法がこれを統治」に替わっただけです。そこには自ら考えて話し合う民主主義国家の国民の姿はありません。
今、この状況を好転させることは出来ないだろうな、というのが私の正直な思いです。お子さんをお持ちの方においてはぜひ、「国家と国民は同一のものであること、自分で考え、みんなと話し合ってよりよい姿を追い求めること、人間とは自分の足で立つものであること」という民主主義の基本をお子さんに教えてあげてください。右とか左とかはその後で十分です。自立と話し合いの意味を十分に理解した人が増えれば、やがてはこの国も落ち着くでしょう。

*1:当然ですが子供や禁治産者は除きます

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