杜甫に感嘆する

のんびりと聞いているNHKラジオの『漢詩を読む』。今週ようやく前半の最後の回にたどり着きました。9月放送ですから2か月遅れです。

今回聞いたのは第二十六回「詩聖杜甫 完美の詩」です。その紹介されている二つ目の詩「登高」に圧倒されました。

要約してしまえば、「登高」は楼閣に登って周囲の景色を眺めた時の心情をうたった詩です。広々とした大地を眺めながら、老いてゆく自分の体をしみじみと感じる。そんなところです。

ところが、続くページで紹介された清代の注釈を呼んでびっくりしました。前半は風、猿、渚、鳥、楽木、長江といった視覚を中心とした構成、後半は悲、病、艱難、潦倒(ろうとう)といった主観を中心とした構成となっていると指摘されています。そうして読み返してみれば風と渚、猿と鳥という対比、無辺と不尽、蕭蕭(しょうしょう)と滾滾(こんこん)という並立があります。また、万里悲愁というたどってきた道のりでの想いと、百年多病というたどってきた人生の苦しみが並立され、「苦だ(はなはだ)恨む」「新たに停む」がやはり対比されています。

短い詩の全編にわたって「これでもか」と詩の技法が展開されており、それらが押韻平仄でがちがちに縛り上げられています。にもかかわらず、浮かびあがるのは静かに広がる落ち着いた情景であり、目を三角にして技法を凝らしたような印象がありません。

なるほど、これが詩聖と呼ばれる所以か。と、感嘆した次第です。

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