最高裁裁判官の国民審査

先日の衆議院選挙の際、最高裁裁判官の国民審査も行われました。

この国民審査についてですが、多くの人は実はあまりわかっていないまま審査を行っているのではないかと感じます。我々はどういう立場で票を投じなければならないのでしょうか。

 

今回の審査では夫婦別姓に関して

民法の規定は憲法に違反しない』

という判断を下した裁判官に対して、罷免要求が他の裁判官より2%高いという結果が出ました。

www3.nhk.or.jp夫婦別姓については選挙前に「ヤシノミ作戦 | 多様な選択ができる社会へ」という運動が繰り広げられました。夫婦別姓に反対する議員候補を落選させようという運動です。

この運動自体はまっとうなものです。議員には議員立法権があります。また、議員は国民の代表ですので、有権者が自分の意に沿う政治的主張をする議員のみに票を投じるのは議会制民主主義の本筋に従ったものです。

しかし、違憲立法審査の結果が「意に沿わない」裁判官を罷免することは民主主義として正しいのでしょうか。違憲立法審査の結果が「論理的に破綻している」裁判官であれば罷免すべきです。違憲立法審査は、法が憲法の規定に反していないかをチェックする機能であり、それは司法とはいえ極めて行政的な裁判です*1。その結果の可否を論ずるにあたって国民が行うべきは「論理が破綻しているか否か」であって「自分の政治的主張に沿っているか否か」ではないはずです。

先のヤシノミ作戦のサイトにはそのような検討が行われたような形跡がありません。繰り返しますが、議員候補についてその政策に応じて自分の主張にあうあわないで投票の可否を論じるのはまっとうなことです。しかし、先のサイトは同じノリで裁判官の審査をしようと呼び掛けています。

我々は国民の代表として議員を国会に送り込む権利を持っており、彼らは立法権を持っています。法が自分の主張に沿わない時には、彼らを使って法律を変えるべきです。しかしながら、違憲立法審査について論理的整合性を無視して政治的主張だけで裁判官を罷免せよと声を上げるのは間違っています。

*1:なにしろ「審査」である

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