ウヨとかサヨとか、最初に言い出したのは誰なのかしら

時々読んでいる木走さんのブログ。

ある意味で左右とも冷戦下にそのイデオロギーをむき出しにして旗立てていた時代であり、労働者階級は左、資産階級は右、所得の分布とイデオロギーはある程度素直に相関していました。

引っかかったのは、右翼=保守、左翼=リベラルを前提に話が進んでいることです。エントリー内部で、55年体制時は単純だったが、とわざわざ書いていらっしゃるのに、分類ではこの前提を崩さずに話が進みます。ウヨ・サヨって言葉はもう意味を失いつつあると思うのですが、どうでしょうか。
国家運営政策に関して右翼(全体主義的、体制的)であっても、経済政策としては改革支持。だけど、その改革は、「ばら撒き反対、格差社会やや支持」。そして民主主義最高、みんな選挙に行け!なんてのは不思議でもなんでもないのですが、そんな人までウヨ=保守=非リベラルとくくられると、こんな表現の自由は嫌だ!と2chあたりにスレを立てたくなります。
社民党没落の一因は左翼なのに主張が不変(反対!平和!福祉!)という極端な保守性だと思っています。要するに、お花畑キモイ、と思えてしまうのです。政治を担うかもしれない左翼政党がレッテルに固執し、その結果現実感を喪失しています。となると、現実社会でイデオロギーのレッテル貼りにどれだけ意味があるのかなと感じます。それが自薦であれ。
逆にネットウヨという言葉に違和感を感じないのは、私がネットの政治言論のほとんどを本来現実感に欠ける物として分類しているせいかもしれません。
自分のも含めて。
ところで「貧乏なのに右翼」というのは社会が安定していて初めて言える皮肉ではないでしょうか。安定を欠き始めると、貧乏な人が右翼扇動家の下に集まるのは珍しくありません。

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