ペリー来訪

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ふと、思い出したのですが2004年にボストンに居た際、某所で日米和親条約締結150周年記念展示会をやっていました。
出かけて行って規模の小ささ*1にがっかりしたのですが、掲示されている資料には思わず息を飲みました。そこにあったのは、ペリーが来日したときの様子を事細かに記した文書でした。単に文字で書いたのではなく、容姿から始まって艦、装備は言うに及ばず、細かな道具までほとんど執拗と言えるほど詳細に描き留めていました。その文書がなぜアメリカにあるのか、今となっては調べなかった事に悔いが残ります。が、ペリー来訪時の日本の知的レベルに対して認識を新たにしたのを思い出します。
ペリーの浦賀寄港、翌年の日米和親条約締結は、その後日本中を沸騰させます。開国反対の尊王攘夷勢力と開国派の佐幕勢力の間で激しい争いがおき、最後に幕府が倒れました。そして灰と煙の中から現れた新政権がこともあろうに開国を進めたと言う驚くべき革命の引き金になったのがペリー来訪でした。
学校で読んだ教科書では、このことが簡潔に書いてあっただけです。閉鎖的だった日本人は現れた西洋人に慌てふためき云々的な話。日本人は昼行灯だった的な話です。
しかし、ボストンで見た資料は実のところ日本人にはペリーを迎えるだけの知的準備ができていたということを鮮明に教えてくれます。技術レベル、特に軍事および工業に関する技術がヨーロッパ及びアメリカに大して大きく遅れていたことは事実です。が、新たな技術に直面したときに、それに貪欲に向き合い、次々と消化していく文化と文明を国民性として確立していたということは、あらためて認識すべきだなぁ、と思ったものです。

*1:廊下に衝立を立てて資料を貼っただけ

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