フルハウス 生命の全容―四割打者の絶滅と進化の逆説

フルハウス 生命の全容―四割打者の絶滅と進化の逆説 (ハヤカワ文庫NF)
グールドの本というと、生命や生態を進化の視点から書き綴ったきらびやかな短編集のほか、カンリブリア期の多様性の爆発を解説した「ワンダフル・ライフ」が有名です。
フルハウス 生命の全容―四割打者の絶滅と進化の逆説 (ハヤカワ文庫NF)」は「ワンダフル・ライフ―バージェス頁岩と生物進化の物語 (ハヤカワ文庫NF)」同様に「知性的生物は進化の必然として存在するのではない」ことを主張します。「ワンダフル・ライフ」はバージェス頁岩の生物たちを例にとって進化とは「偶然刈り取られてしまった多くの種」の悲運多数死の上に成立している偶然の産物であり、人類は高等生物に向かってはしごを上るように進化した一連の動物の頂点にいるのではないということを説明した本でした。バージェス頁岩にはそれまで知られていた生物のボディ・デザインには収まらない奇妙な動物がたくさん残されています。それらの動物の中ではわれわれの先祖に当たる動物など目立たない一角を占めるに過ぎず、それこそが現在ここにわれわれがいること自体、偶然の産物でしかない証拠というわけです。今回読んでいる「フルハウス」も同様に「知的生物は進化の必然ではない」と言い切るのですが、本書ではさらに統計的な見方を持ち出してきて「われわれは進化の視点では優れているどころか勝利すらしていない」と主張します。
統計というとそうとう知性的(に見える)人物でもきちんと理解していることがまれな分野です。それは統計が難解だというよりも、おそらくは現代の数学教育の中で軽視されているからです。戦後日本の躍進を支え、現在の凋落をかろうじて支えているのが工業製品の品質であり、生産現場では品質管理の基礎として徹底的に統計を教えなおしています。いかに現代の基礎教育が実情から乖離しているか暗示する話です。
この本では統計的な考え方に読者を誘導するために、筆者が大好きなアメリカの大リーグでの話を紹介しています。最後の4割打者、テッド・ウイリアム*1以来50年のながきにわたって4割打者が現れない理由が「すべてのプレイヤーの技能が向上したため」であると統計を使って説明します。ここで重要な話として導入されるのが彼のいうところの「壁」です。人間には限界があり、その限界ににじり寄ることはできても超えることはできません。トレーニング方法が改善され、あらゆる戦術、戦略が洗練され、欠点が改良された結果、リーグに参加できる選手はきわめて欠点が少なく、高度な技術を持つ選手ばかりです。その結果、選手のばらつきが少なくなり、分布曲線の裾に位置していた4割打者が現れる確率が極端に小さくなってしまったというのがグールドの主張です。
グールドによれば、人類どころか大型哺乳類、いや哺乳類自体が分布曲線の裾に住み着く哀れな変わり者でしかありません。彼ら(いや、我々)は種の数でも、個体数でも、総質量においても少数派であり、非常に狭い範囲の環境*2に適応して身動きの取れなくなったとるにたらない存在です。
私がこの本を読んで改めて興味深く感じるのは、こういう意見をプライドの問題として排除する人がいるのかということです。グールドは「根強くいる」として一連の作品を書いているのですが、そのような人がいるのがキリスト教的土壌のせいなのかどうなのかはよくわかりません。正直言って、私の周囲にこういう本を喜んで読む人がいないために、議論を戦わすこともできないわけで、そういう意味では根強い反対を受ける環境にある人がうらやましくもあります。

*1:イリアムズはボストン・レッドソックスに在籍していました。彼の名はボストンのローガン国際空港とボストン市をつなぐ二本のトンネルのうち一本に残っています。

*2:生物学的な隙間

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