再び能動的に生きるということ

最近、とみに体力が落ちています。

加齢とともに体力が落ちるのは当然ですが、特に強く意識したのは食事の後に立ち上がるとき、卓に手をついて支えるようになった自分に気がついたときでした。完全に老人の身体になっています。

 そういうことをぼんやり考えているときに読んだ、このブログ記事。

不定愁訴や肩凝りや腰痛など、絶え間ない不調がもたらすのは単に身体の不調だけではありません。気持ちまで落ち込んできます。暮らしのあらゆることが面倒になり、億劫になり、仕事にも積極的に取り組めなくなります。食事をするのも、本を読むのさえ大儀になってくる……そう、QOL(クオリティ・オブ・ライフ=人生の質・生活の質)が著しく下がってしまうのです。

筋トレが最強のソリューションである - インタプリタかなくぎ流

 徳久さんのブログはずきずきと痛いところをえぐってくる、つまりは私にとってストレートに伝わる記事が多いです。が、それにしてもこれは途中で読むのがつらくなったほどです(笑)。

ところで亡父は我が父ながら、今の言葉で言えば上から目線で人を悪く言うことが好きな人でした。その父が健在だったころに、よく世間をくさして言っていた言葉に

「金を払って身体を鍛える奴は馬鹿だ」

というものがあります。今になってみればはっきりわかることですが、これは父が世間知らずであったということに他なりません。

自衛隊勤務ということで比較的短い通勤時間であり、基本は定時で勤務終了。地方都市なので遠距離通勤の場合も自家用車を使用。そして隊内には走りたければいくらでも走ることのできるグラウンドがあり、訓練をするという職業柄、職場には風呂もある。

1日往復3時間かけてへとへとになりながら会社と家の間を往復する都市生活者の人生を想像出来なかったからこそ、あんな事が言えたのでしょう。そして私は知っていますが、通勤だけでへとへとになる年齢に達した今、身体を鍛えると言うことが死活問題になり始めています。

家に帰ったら何もしたくない。休みの日も何もしたくない。これ全部、体力のなさから来ているんですよね。当たり前です。人生50年?もう終わってますよ。プログラマ定年35歳?終わってます。人間が生殖可能になる年齢15歳。終わってます。ダーウィン主義的には生殖が終わった個体を長生きさせる淘汰圧力はありませんから、長生きすること自体生物には意味がありません。人類の場合子育てがありますから、15歳で産んだ子供を15歳まで育てるとしても30歳ですか。そこから先は生物学的に余分の時間を生きているに過ぎません。

私はすでに死者であるべき年齢を生きています。この先、人生の質を維持したければ体力維持に余分なリソースを投入せざるを得ません。それはお金であったり時間であったりします。

ここ数年、両親の老化が加速して入院、介護、葬儀と走り回りましたが、そこで追い込まれて気がついたことがあります。私はここ数年の間、何もかもを受け身にしすぎていました。

趣味やレジャーに掛ける時間やお金を無意識のうちに抑圧していたのです。気がつけば、疲れた身体を引きずって会社と自宅を往復するだけになっていました。私はそういう人間ではなかったはずです。

それに気がついたのは昨年の正月頃です。ebayで以前から欲しかった機械式計算機を競り落としました。ヤフオクで子供の頃欲しかったけれど買えなかったラジオを競り落としました。ゴールデンウィークに机を作りました。毎月1本、映画館で映画を見るようになりました。今年に入ってカメラの望遠レンズを買いました。

どれも、

「なくても我慢できる」「しなくても我慢できる」

ものばかりです。しかし、前向きに自分のリソースを使うようになってようやく自分の時間が再び楽しくなってきました。ようするに、本当にやりたいことを殺していたのでしょう。

再び楽しくなって来た時間を見つめれば、若い頃はあれもしたかった、これもしたかったと思い出します。そういったことは、年をとって時間ができたときにと閉じ込めていたのですがいざ年をとると毎日疲れ果てて、やりたいことがあるのに寝っ転がってばかりです。

これはもう、身体を鍛えるしかないじゃないですか。三日坊主の私が身体を鍛えるのは大変ですが、生き死にを掛けて健康体を取り戻さなければなりません。

「健康のためなら死んでもいい」

じゃないのです。

「健康じゃないと死ぬ」

とりあえずスロトレから始めます。