クドリャフカの順番

米澤穂信古典部シリーズ第三作。
前作で夏休み最後の週を『女帝』事件の謎解きのために「浪費」した折木奉太郎を始めとする古典部の面々。福部里志の原稿の遅れも乗り越えて無事に古典部伝統の文集「氷菓」も完成します。
ところが、文化祭直前になってとんでもない問題が発覚します。発注のミスで予定より多くの文集が印刷されてしまったのです。

クドリャフカの順番 (角川文庫)

クドリャフカの順番 (角川文庫)

シリーズ第一作、第二作で繰り返しその賑やかさが紹介されてきた神山高校文化祭、通称「カンヤ祭」がこの作品の舞台です。総参加団体が50を越え、三日間開催されるこのお祭りの最中、「十文字」を名乗る者による妙な窃盗事件が発生します。文集の販売に苦慮する古典部は、やがて全校の注目を浴びることになる『十文字』事件をてこに販売促進を図ります。
この作品の見所はなんと言っても、神山高校文化祭のおもちゃ箱をひっくり返したような楽しさです。オープニングのブレークダンスから始まって、古典部部室を次々訪れる怪しい「流し」の連中、いきなり校庭で美声を披露するアカペラ部、お料理研究会の主催の屋外料理バトル「ワイルドファイア」、園芸部の焼き芋、一大クイズ大会、奇術部。読むだけで、高校の文化祭のふわふわしたお祭り気分を存分に楽しむことが出来ます。特に、推理小説の素人でも「こりゃ何かの作品のオマージュじゃないの?」と思ってしまう奇術ショーの観客観察風景や、主人公を除く古典部の3人が大活躍するワイルド・ファイアは、その場の情景が目に浮かぶほど鮮やかな印象を残します。
この文化祭を通して暗躍する怪盗「十文字」を巡る物語が、この作品の縦糸とすれば、横糸を成すのがこの作者らしい青春時代の苦味です。シリーズ第一作では『薔薇色の高校生活』、第二作では『技術(能力)』が物語の横糸でしたが、この作品では『絶望と期待』が横糸になっています。
正直言って、素人目に見てもこの作品は本格推理小説ではないなとわかります。主人公が言っているとおり、競争条件がフェアではありません。しかし、ウキウキした雰囲気の文化祭が進行する中で古典部の面々が感じる、自らの能力、他者の能力への限界感、挫折感といったものが物語に深みを与えており、通り一遍の青春小説と異なる味わいを見せてくれます。
もう一つ、この作品ではそれまで伊原摩耶花のアプローチをのらりくらりとかわしていた福部里志の気持ちが少しだけですが描かれており、それが苦い話に、少し違った色合いの切なさを添えてくれています。
シリーズ初の多視点作品である上に、主人公が部室で売り子をする安楽椅子探偵ものというアクロバティックな構成ですが、それ故にこれまで脇に置かれていた古典部の他のメンバーの気持ちが描かれていて、読み応えのある作品に仕上がっています。
シリーズ中一番楽しい作品としてお奨めします。

追記

以下ネタバレ
9
8
7
6
5
4
3
2
1
盛大に開催された神山高校文化祭も終わり。
十文字にまんまとやられた古典部の文化祭も終わりです。そして登場人物達の物語も終わりを迎えます。そこに、作者は非常に重いエピソードを持ってきます。作品の結にあたる『幕を下ろせ』は、3節からなり、それぞれが福部里志千反田える伊原摩耶花の物語になっています。そしていずれの物語も、文化祭中に彼ら、彼女らが考えた努力や、能力、希望といったものへの幕引きになっています。
「私は特別な存在だ。私には特別な力がある」という夢は思春期には多くの人が持つと思われますが、作者はたった3節でこの三人にそういった幻想への幕引きをしてしまいます。里志は「データベースは結論を出せない」という自分の口癖をかみしめ、えるは3日間がんばった広報活動に自分が徹頭徹尾向いていないと思い知り、摩耶花は遙かな高みで行われた期待と絶望の交錯に自分の能力の哀れさを思い知ります。
一方、主人公の折木奉太郎は十文字と対決しながら、3人が聞いたら苦笑いするような事を思います。

絶対的な差から期待が生れるというのが妥当とするなら、俺はどんな方面でも差に気づいてさえいないようだ。身を震わせるほどの切実な期待というものを、俺は知らない。憧れを知らない。眼下に星を持たない。

この空虚な心の主人公は、作品の最後の一行で彼ならではの楽観的で人の心を読めない一言を思うのですが、それは伏せておきます。
折木奉太郎という、省エネ主義者はシリーズ第一作で、熱い心を持って何事かに取り組む友人達を見て、自分に不安を感じます。不安を感じても、彼には夢中になれるものありません。それがどういう事なのか、この小説の最後に彼はほんの少し知ることになります。逆に言えば、彼はまだ人生の残酷さをほんの少し覗いただけです。

……それともいつか、俺にもその「順番」がまわってくるだろうか。

最後の節のタイトルは『そして打ち上げへ』。やがて奉太郎にも打ち上げの順番がまわってきて、あのライカ犬と同じく眼下の星に絶望と期待を抱く日がくるのでしょう。