気がつけば脇見運転は過去1ヶ月半ほど古典部の話しかしていません。どうなっているのだ。
そんな歪んだ当ブログですが、meinekoさんが私の駄文を読んで古典部シリーズを読んでくれたもよう。ありがたい限りです。さて、その感想の中に以下のような一文を見つけました。
以前、ゲームを解くときは、作品そのものを楽しむのもそうだけれど、製作者の意図との戦いだと、どこかで書いた気がします。
うむ、それはたぶん私のラブプラスに関するエントリーの中の、以下の文に対するコメントだと思いますよ。
これに対してコメント欄にmeinekoさんが書いた文章
ゲームとは、作者との対話だと思っているエ○ゲの世界の住人としては、よくわかりませんが、エ○ゲとギャルゲが、やはり資質なものであのは、わかった気がします(w
多分このことですよね。で、それに対してわたしが返信したことからやりとりが始まります。
てか、エ○ゲって、作者と対話するんですか?
キャラ萌え派と、ストーリー重視派との対立は、近年さらに激化しています。
ふむふむ。ここまでは特に問題はありません。でもですね、この一連のコメントを読み直して、あれっと思ったのです。このコメントはゲームに関するやりとりですが、話の発端は古典部シリーズでした。
わたしが何に引っかかったのか、『手作りチョコレート事件』から引用してみましょう*1。里志が奉太郎に漫画研究会の内紛について語るシーンです。
話を無理矢理に変えられたような間の悪さを感じたが、気にしないことにして耳慣れない言葉を聞き返す。
「印象派と、何だって?」
「理性派。まぁ、キャラクター重視派とストーリー重視派と呼んでもいいけど、なかなか丁々発止としているみたいだよ。できることなら、僕も参加したいね」
ね、狙ったみたいでしょ(笑)。古典部から始まり、以前の会話に飛んで、古典部に帰ってきました。これ、2年前の会話なんです。
id:meinekoさん、本当に偶然ですか?