愚者のエンドロール

米澤穂信古典部シリーズ第二作。
前作で高校1年生の春から夏にかけて、33年前に学校で起きた出来事を発端とする氷菓事件の全容を解いた、主人公折木奉太郎。省エネをモットーとし、必要のないことはしない主義を貫きたい彼ですが、氷菓事件を解決したばっかりに別の事件に巻き込まれてしまいます。

愚者のエンドロール (角川文庫)

愚者のエンドロール (角川文庫)

主人公の通う学校はやたらとクラブ活動が盛んで、10月の文化祭に向けて夏休み中も多くの生徒が活動しています。
そんななか、部長である千反田えるに引きずられるように2年生のクラスの未完成映画を見せられた主人公は、病気で倒れた脚本担当がどんなトリックを考えていたか推察し、映画の完成を手伝ってくれと依頼されます。かろうじて断るものの、代わりに2年生数名が推察したストーリーの吟味を行うことを了承させらる主人公。残り少ない夏休み、古典部の面々の前に現れた2年生達は前半しか存在しない脚本の謎に対するそれぞれの推理を披露するのですが…。
こう言う推理小説のパターンがあるそうです。要するに綿密な推理を右から左になで切りにしていくわけですね。読んでいて楽しかったのが、それぞれの推理が単なる推理ではなく、ミステリ小説のいろいろなジャンルに沿った形になっていることです。作品中で起きている事件とは「ミステリ映画の脚本が尻切れトンボになっちゃった」ということであり、脚本家が何を目指していたかすら分かっていません。したがって、主人公達の前に披露されるのは「密室殺人だよ」「密室殺人じゃないよ」といったメタ推理になっており、古典部の面々はそれに対してあーでもない、こーでもないと論評を行います。なんて愉快な話。
前作の「氷菓」は「バラ色の青春」を、一つの苦い主題として取り上げていました。今作品で作者は「才能」を主題に選んでいます。千反田えると家ぐるみのつきあいがあるという2年生入須冬実は、同級生達の推理を「所詮は技術のないものの悪あがき」とつれなく切って捨てます。そうして、主人公の能力を校外にまで知られているとして推理を依頼してきたのです。
単なる推理の羅列ではなく、学生時代、誰でも一度は抱える「自分には才能があるのか」という切実な悩みをストーリーにからめ、主観的自己像、持てるものの義務といった切り口で料理している筆者の手腕は鮮やかです。そしてこの作品でも主人公を予想のつかない言動で振り回したヒロインが、やや重い主題であったはずの本作にさわやかな読後感を与えてくれています。
おすすめ。

追記

以下ネタバレ
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推理小説としてのこの話は、列挙された3つの仮説を証拠に照らし合わせて検討するという構成です。
推理とは、証拠から犯行手段、計画、動機へと遡っていく帰納的手法です。一方で、犯行とは動機から実行へと降りていく演繹的手法です。両方に矛盾がないとき、謎が解けたことになります。
本作の問題は尻切れトンボになった映画の解決部分を補完するというものですが、おもしろいのは犯人の動機が分からないだけではなく、そもそも脚本家が何を目指していたのか分からない点にあります。つまり、名探偵である主人公は、犯人を帰納的に推理するだけではなく、脚本家が何を考えていたかも演繹的に推理しなければなりません。
本作の見所の大どんでん返しはまさにそこにあります。一番重要なこの点を見落としていたばかりに古典部の3人に推論の穴を指摘されて窮地に立つ主人公。映画は主人公の推理した通りのプロットで完成し、依頼者の女帝からは感謝され、作品のできは良いと一番厳しい批判をした里志にすら褒められます。しかし、主人公の気持ちは晴れません。
この作品の醍醐味はなんと言ってもここからでしょう。依頼人にとっては満足する形で、主人公にとって取り返しのつかない形で終わった推理。主人公の折木奉太郎は偶然の力を借りて、ここからもう一段階推理を飛躍させます。そして、おそらくは脚本家の意図まで正しくよみきり、騒動の背景にあった陰謀まであらかた暴いてしまいます。
この最後の読み解きのシーンは見事でした。主人公が聞きたい言葉と、正しいと信じる結論のギャップ。その間に立たされた奉太郎の反応がおもしろかったです。
それにしても折木供恵はチートすぎるよぅ。

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