「愚者のエンドロール」再び

すっかりどはまりちゅうの米澤穂信古典部」シリーズ。
なんども紹介していますが、大筋は「古典部」に所属する高校生の主人公が、同学年で古典部部長であるヒロインに振り回されて、巻き込まれ型の問題解決をするというものです。ときおり、巻き込まれ型じゃない取り組みもあって、その辺が読ませるところでもあります。
さて、私はもともと推理小説に関心がないタイプです。すすめられてクイーンも読んでみたことがありますが、大した印象が残っていません。今回古典部シリーズを繰り返し読み返しているわけですが、このシリーズは推理小説をメタレベルで、つまり作中で言及することがあるため、幾分推理小説の枠組みといったことに興味をもって調べてみました。
いやいや、なかなか面白いものです。ある程度のルールの下、事前に証拠となることは作中で全部表明し、主人公と読者が対等の情報量で勝負できるようになっているのですね。古典部シリーズの折木奉太郎には、本人が意識しない影のチート、折木供恵がいるので、ライバルたちに対して公平ではありません。しかし、読者は折木供恵による干渉を知っているので、奉太郎と対等に勝負できるのです。なるほど。
先日のエントリで私は推理は与えられた証拠から犯行計画、動機までさかのぼっていく帰納的過程だと書きました。そして、先に述べたように必要な証拠は読者に示されているわけですから、読者も帰納的方法で推理することができます。
謎解きの過程は数万人の読者の目にさらされるわけで、演繹的にも帰納的にも矛盾なく全体を構成する作者の労は推して知るべしです。
さて、前回紹介した後に色々考えたことがありますので、それを書いてみます。核心部分のネタバレばかりなので、未読の方は読む前に考え直してください。
9
8
7
6
5
4
3
2
1
0

里志の反論は無効か?

この小説、バカ売れしているわけではありませんが熱心なファンが多いらしく、ネット上にいろいろな紹介や考察があり、たのしめます。その中で面白かった考察の一つに「里志の反論は無効ではないか」というものがあります。これは、古典部シリーズの二次創作泳ぐやる夫シアター やる夫達はビデオ映画に挑むようです 番外編 打ち上げの作者によるもので、概要としては「本郷による脚本は『依頼人がホームズのところに解決を依頼に来る』というホームズシリーズの体をなしておらず、学生によるクローズド・サークルといった構成はホームズらしくない」という主張です。すなわち、本郷の脚本はホームズを模倣していません。これをもって、上記の作者は、里志の誤謬は米澤穂信がしかけた暗喩であり、主人公の全能感を破るものが必ずしも正しい意見だけではないということを示している、と説きます。
面白い視点ですね。
ただ、私はそれは考えすぎだと感じます。本郷はミステリの勉強のためにホームズ・シリーズを参考にしました。その事実に対して、むやみに複雑な仮定を付け加える必要はないでしょう。オッカムのかみそりってやつです。
この辺は、「古典部シリーズを読んで古典部シリーズの二次創作を書いた」先の人が知らずに自縛してしまっているのではないでしょうか。
私は里志の反論は有効だと思います。なにより、シンプルで鳥肌がたつほど切れ味鋭いこの反論に迂遠なトリックを仕込む必要はなさそうです。

入須の本音と奉太郎の本音

愚者のエンドロール』の面白さは、犯人探しどころか、一段メタの脚本推定をやることで、知らず知らずのうちに「女帝」入須冬実の思うままに踊ってしまった主人公が、珍しくも己の意地にかけてさらにメタな女帝の陰謀に切り込むというストーリーの妙です。脚本家がミステリ映画の黒幕ならば、黒幕の黒幕である女帝の本心に主人公が肉薄するシーンこそがこの小説のクライマックスです。このシーンではすでに下位の創作物でしかない脚本家の真意など、奉太郎も入須も刺身のつま扱いしています。
主人公である折木奉太郎は、最後、入須冬実の本音を無理やり引き出そうとします。すなわち、「技術を持っているものが云々」という言葉は、本心なのか本心ではないのかということです。この言葉に鼓舞されて探偵役に挑戦した奉太郎は、正しい結果にたどり着いたと信じたのですが、その答えは古典部の面々から退けられ、にもかかわらず2-Fの映画を成功に導きます。すなわち、彼は正しい答えを探し出す探偵役ではなく、人々を楽しませる脚本家として、女帝の手ゴマとされたのでした。
入須は奉太郎の追及に対して「心の底からの言葉ではない。それを嘘だというのは君の勝手だ」と言います。それを受けて奉太郎は会心の笑みを浮かべる、というのが本編の結末でした。このあと、エンドロールへと続きます。
上記の結末はすこしわかりにくいですが、それは奉太郎の心理状況が複雑だからです。彼は、探偵役を引き受けたのであって、脚本家を引き受けたのではありませんでした。ですから、入須の言葉は彼の「正しい答えへと迫る能力」に対する正当な評価と信じたいのでした。しかし、彼が最後に行った推理の結果は、その解釈は「正しくない」と告げています。すなわち、入須はそんなことは全く思っていないと。

  • 推理の結果が正しいのなら、自分は推理の能力を買われたのではなく、面白いことを考え付く脚本家として踊らされただけ。
  • 推理の結果が間違いなら、自分には推理の能力がないことを自分自身に露呈してしまう。

この苦い二重束縛状態のなかで彼が望んだのは、女帝の評価がどうであるかにかかわらず、独力で女帝の陰謀を正しく推理したという結果でした。ですから彼は、最後に笑ったのです。

女帝の気持ち

さて、米澤穂信の意地の悪さと言えますが、このシリーズでは奉太郎は必ずしも正しい答え、よい答えにたどり着くわけではありません。『氷菓』でも『愚者のエンドロール』でも一度は間違えています。『クドリャフカの順番』でも、犯人の前で最後の詰めの甘さを露呈しています。ま、これは犯人が言うとおり、真意を理解しえたのは当事者だけなので仕方ないですが。
愚者のエンドロール』では、二度目の挑戦で女帝の真意に迫り切った奉太郎が、その裏にある本当の理由に迫り切れていないということがエンドロールで暗示されています。この作品における存在自体がチート、スーパー女子大生の折木供恵が違う想像をしているからです。
しかし供恵の想像は正しいのでしょうか。証拠はありませんが、わたしは間違っていると考えます。それを説明するには、『女帝』入須冬美の心の中に踏み込まなければなりません。
折木供恵の想像のベースになっている考え方を一言にまとめると「あんたってそんな女でしょ」につきます。血も涙もない冷血女。結果を売るためには、クラスメイトだろうが先輩だろうが平気で嘘をついてこき使う女帝。偶然か否か、この入須冬美観は奉太郎の持つそれと酷似しています。
しかし、そうなのでしょうか。入須冬実は血も涙もない女帝なのでしょうか。技術がなければクラスメイトも平気で切って捨てる冷血女でしょうか。私はそうは思いません。なぜなら、その人物観は与えられた入須冬実の行動情報と矛盾しているのです。
重要な証拠はみっつあります。

  1. 本郷真由と思われる人物とのチャット記録
  2. 「本郷はストレスで倒れた」とする入須の嘘
  3. 入須の「自主映画を失敗させるわけにはいかなかった」という供述

まずチャット記録ですが、この記録の中で、本郷と思われる人物「まゆこ」は繰り返し入須と思われる人物「名前を入れてください」にわびています。入須が何かを本郷に押し付けている気配はありません。それどころから、一連の会話は本郷が入須に何かを相談した、あるいは頼んだことすら匂わせます。つまり、ストレートに言って、この部分のチャットログは奉太郎の推理にぴったり符合します。すなわち、撮影が当初の脚本の筋書きと乖離してしまったためにそれ以上書けなくなった本郷が入須に相談に来たというものです。
この点は「撮影と脚本が乖離してしまった。どうしよう」と相談に来た本郷に対して、脚本のできの悪さを問題視した入須が、本郷の相談に乗じて「このままだとお前が悪者になる。私に案があるからまかせろ」と丸めこんで、仮病を使わせたとする考え方もあります。しかし、この仮説の最大の欠点は、入須にそれをする動機がないことです。学校行事に興味が無く、映画が彼女の手柄でもない以上、このような行動はリスクばかり高く、彼女にはメリットがありません。
二つ目の「嘘」は、チャット記録と強く結び付いています。千反田さんが奉太郎に主張したように、本郷の親友である江波は、本郷の真意をすべて知ることができたはずです。そして、本郷と入須の間で交わされた合意についてもすべて知ることができたはずです。実際、江波の本郷に関する態度を考えると、知らずにいたと考えることには無理があります。そのうえで、背後にある真実が『本郷の脚本は箸にも棒にもかからないから却下』なのであれば、親友を傷つけた入須のためにお使いなどするはずもありません。また、そのような扱いを受けたのなら、本郷が最後のチャットログで入須に礼をいうのもおかしな話です。入須の嘘は、江波を納得させ、本郷に感謝されるものであったはずです。
三つ目の「映画を失敗させるわけにはいかない」という供述。先輩である折木供恵のまえで取り乱しながら出てきたこの言葉こそが、彼女の本音だとおもわれます。冷血女の女帝であれば、クラスメイトが自主製作した映画など、知らん顔しておけばいいのです。彼女はクラスの支配者でもなんでもありません。「私は、あのプロジェクトを失敗させるわけにはいかない立場でした」と言っていますが、クラスの展示物は彼女の手柄でもありません。血も涙もない冷血女ならば、「あら、失敗だったわね。残念。」で、いいではないですか。
しかし彼女はそうは言いません。本郷を守るためには映画を失敗させるわけにいかないと考え、自分がかかわってないプロジェクトのために一計を案じてクラスで推理大会を開き、探偵役を卒業した先輩に求め、それが無理なら紹介された一面識もない下級生にまかせる賭けにでます。その間、彼女は走り回って推理を文字に落すライターを探しています。おまけに、頼まれてでた会議では見事な仕切りをみせています。冷血女なら頼まれても断るでしょう。そして決定的な証言は里志の「この件は女帝におまかせ」という一言です。信頼されているのです。
入須冬実が血も涙もない冷血女だという折木姉弟の解釈は、以上の入須像とあまりにも矛盾します。むしろ入須冬実という女子高生は、困っているクラスメイトに頼まれれば、それを袖にせず救いの手を伸ばす人物のように思えます。顔色一つ変えずに難しい仕事をこなす姿や、人使いの妙もあって、『女帝』などと言われているだけで、その実人望はあるのです。そうでなければ「女帝にお任せ」など言われないでしょう。
以上のことから考えられるのは、この件は「本郷真由が入須冬実にどうしても脚本が書けないと相談した」ことに端を発するのではないかということです。心の根の優しい本郷は人の死ぬ話が嫌いなのですが、クラスメイトから多数決で仕事を押し付けられ、しかも豪快に人が死ぬことを要求されます。それに対して人が死なない脚本を書いた彼女は、撮影舞台の暴走による登場人物の死でとうとう行き詰まります。筆が進まなくなったのかもしれませんし、自分で読んでもつまらないと思ったかもしれません。本郷は自分にまったく「技術がない」ことを思い知ったことでしょう。
入須冬実はこれに対して一計を案じ、本郷を傷つけずに映画を成功させる方法をひねりだしします。映画が失敗すれば、望んで脚本を引き受けたわけでもない本郷は自分を責めるでしょう。ですから、入須はなんとしても映画を成功させたかったのだと考えられます。
その結果、道化を演じる羽目になった折木奉太郎から入須は厳しく指弾されることになりますが、彼女は泰然とそれを受け止めます。先輩である折木供恵に対しては釈明をしたかったようですが、聞いてもらえませんでした。
以上が私の推理です。
結果的に、私は折木奉太郎の推理は完全に当たっていたと考えています。おそらくは、「誰でも自分を自覚すべきだ」という言葉も嘘でしょう。奉太郎の推理通り、彼を乗せるために作った言葉です。しかし、その背景を「『女帝』の異名を取るあなたが、そんなセンチメンタリストなわけがない」としたのは、勇み足でした。奉太郎よ、直前で彼女の行動がクラスメイトを助けるためだと気づいておきながら、なぜこの指摘が矛盾すると気づかない。相変わらず人の気持ちに鈍い男です。
血も涙もない女帝というイメージは、入須の行動と一致しません。そして、このイメージは『クドリャフカの順番』における、彼女の行動とも一致しません。血も涙もない冷血女は文集の在庫になやむ古典部の救済なんか手伝わないでしょう。その手の人は恩義を感じませんから。

千反田える

古典部シリーズにおいて、探偵役の奉太郎への依頼人役を担うのが、同学年にして古典部部長の千反田(ちたんだ)さんです。
メインヒロインである彼女は、主人公の奉太郎がロジックのパートを受け持つのに対して、メンタルのパートを受け持っているとも言えます。
さて、推理とは与えられた証拠から犯行動機へと遡っていく帰納的推論過程です。証拠は推理小説の作法に基づき、奉太郎と読者に公平に与えられています。しかしこの男、折木奉太郎は人の心に鈍いところがあります。細かい機微に気づかないか、あるいは気づいても遅すぎるということが何度もあります。
千反田さんの言葉や仕草を軽視したために足を取られるシーンは、『氷菓』にも『愚者のエンドロール』にもあります。それらは解決とともに自動的に解消されたり、あるいは千反田さん自身から明かされるため、作中に与えられたそういった言動が奉太郎により回収されて、解決編にて再披露されるということはありません*1
ということで、集めてみました。奉太郎が注目すべきだった千反田さんの言動例。

千反田さんが気にしていたこと

奉太郎が入須冬美に説明した彼の推理には大きな欠陥が複数ありました。福部里志伊原摩耶花は脚本としてのできの良さを認めつつも、その推理にある技術的欠陥を鋭く指摘しました。それに対して、脚本家である本郷真由の気持ちへの踏み込みが甘いとメンタル面の欠陥を指摘したのが千反田さんでした。
以下、「試写会には行かない」からの引用です。

「折木さん、今回の一件で、私が気になっていたことが何か、わかりますか」
…(以下、ヒロイン特権による細やかな外面描写を含むいくつかの会話を省略)…
「私は志半ばに脚本の完成を放棄しなければならなかった本郷さんの心境を理解したいと思うのです。無念なら無念を、怒りなら怒りを知りたいんです。……でも、さっきの映像はそれには答えてくれませんでした。私があれを気に入っていないように見えたのなら、きっとそれが理由だと思います」

奉太郎もコミュニケーション障害を持っているわけじゃありませんから、人の気持ちが全くわからないという程でもないのですが、さすがにこの細やかな発想は無理でした。
さて、これを元に彼女の言動を最初から見直しましょう。

試写会に行こう!

最初の試写会シーン、奉太郎に断られてあっさり身を引いた入須冬美に対して、千反田さんが食い下がるところから場の流れが変わります。というか、奉太郎が危険を察知して読者がにやにやするシーン。そのシーンで、「ドラマの結末がわからないのは困る」と言って千反田さんは入須を困らせます。だだっ子ですね。が、これはミスリードを誘っているシーンです。重要なのはその直後です。決めぜりふがどのように発せられるか見てみましょう。

「脚本家本郷真由さんはなぜ、信頼と体調を損ねてまで途中でやめなければならなかったのか。……わたし、気になります

読み返してみれば、これが解決すべき問題の提示であったことはこれ以上ないほど明らかです。ファンファーレ付きで宣言されています。しかし奉太郎はこれを見落とし、彼の言う文章問題の罠に落ちていきます。
これが重要であることは同じシーンで念押しされていることからもわかります。しかし、お笑いとつなげることで、作者は奉太郎と読者を煙に巻いています。

「折木さん、やりましょう。本郷さんの遺志を知るんです!」
「本郷は死んでいない」
冷静な入須の訂正は、お嬢様の耳に入っているかどうか

『古丘廃村殺人事件』

古典部による2-Fの面々への聞き取りは、最初の探偵役、中城順哉から始まります。順番に質問する古典部の面々。その中で、千反田さんだけは撮影や状況ではなく、本郷さんについて聞いています。

「脚本の方、本郷さんと言いましたか。容態はどうですか」

最初から本当に本郷さんに感心があったのですね。しかし、この一連の会話もお笑いの煙幕によって印象が薄くなっています。

「本郷さんという方、神経が細やかだったんですね」
…(中略)…
「…神経が、と言うより体そのものがっていうんならわかるが」
「体が細やかだったんですか」
どういう形容だそれは。俺は思わず横から口を出す。

作者意地が悪いです。そして、奉太郎、フォローはいいから千反田さんの言うことに耳を傾けなさい。

『不可視の侵入』

さて、二人目の聞き取りに行く途中、千反田さんは中城に問うたのと同じ質問を案内役の江波さんに投げかけます*2

「江波さんは本郷さんとは親しかったんですか」
…(中略)…
「ただ、あの本を書かれたのがどのような方だったのか気になるだけです。とても真面目な方だったみたいですね」
俺たちは2年F組教室の前まで来た。江波は足を止め、振り返ると、少し早口になっていた。
「本郷はきまじめで、注意深く、責任感が強く馬鹿みたいに優しく、もろい、私の親友です。けど、こんな言葉で説明して何がわかりますか。……さあ、羽場が待っています。どうぞよろしくお願いします」

この時点で、千反田さんは本郷真由というひとの人物像を自分の中に作り上げようとしていることがはっきりとわかります。そして、江波のいらだたしげな口調に押されて見落としてしまいそうになるのですが、彼女が語った本郷真由像は千反田さんに似ています。これが後で重要になってきます。
もちろん奉太郎は気づいていません。
そして、第二の探偵役、羽場智博との対面。大して進展のない奉太郎を余所に、千反田さんは本郷真由を掘り下げていきます。

本の山の一番上を取り、千反田はページを繰った。早めに本題を片付けたいのだが…。そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、まあ知らずだろうが、千反田はふと手を止めてページを凝視した。
「あら」
「どうした」
「変わった印がしてあります。ほら」
…(中略)…千反田の言うような「変わった印」とは俺には思えなかった。

もう、探偵役やめろよ、奉太郎(笑)。千反田さんが「場の空気を読まず、訳のわからないことをする」という奉太郎の思い込みは、彼の探偵家業にとって障害になっています。もちろん、本人が気づいていないからこそ障害なのですが、同じ失敗を繰り返すのはねぇ。
その、人の気持ちの読めない奉太郎は、直後に致命的なしくじりをやらかします。

ざっと見て、俺は本を千反田に押し返す。
「何が妙だ、使えるネタに丸をつけただけだろう」
「そうで、すか」
今ひとつ納得していないようでも千反田はそれで引き下がった。里志がそのとき何かもぞもぞと呟いたようだったが…(略)

いくら先を急ぎたくても、千反田さんと里志の異変は流すべきではありませんでした。特に千反田さん、明らかに「そうでしょうか」という言葉を飲み込んでいます。
さて、古典部部室での羽場案検討会、発言を求められた千反田さんは、羽場案には同意できないとしつつ、その理由は技術的な面から発言した里志、摩耶花とことなる切り口です。

「それが、ですね。私もよくわからないんです。でも、たぶん本郷さんの真意はそこにはないんじゃないかと。…(略)」
本人の言うとおり説明になってないし、よくわからないじゃ俺もよくわからん。

一貫して本郷さんの真意にこだわる千反田さん。一貫して千反田さんの意見を軽視する奉太郎。『遠回りする雛』収録の「正体見たり」の感想に書いたように、『氷菓事件』のあと、千反田さんの奉太郎へ向ける視線は少し変化しています。
それにしても

と、千反田はすがるように俺に視線を向けた。お、俺をそんな目で見るな。

こんな唐変木のどこがいいんでしょうか。

『Bloody Beast

愚者のエンドロール』という作品の構成は『毒入りチョコレート事件』という小説へのオマージュになっているそうです。そのせいでしょうか、この章で千反田さんはチョコレートボンボンの『毒』にあたって酔ってしまいます*3。奉太郎が折につけ『お嬢様』呼ばわりする千反田さんが、一枚めくれば普通の女の子に過ぎないことを暗示している出来事でもあります。
シリーズを通してちょいちょい顔を出すことになる3人目の探偵役、2-Fの沢木口美崎に対して、千反田さんはのっけからクラス展示や脚本役の決定プロセスについて質問します。本題と異なる話にいらだつ奉太郎。しかし、酒の力を借りて奉太郎を一蹴する千反田さん。普段より素っ気ないです。
そしてすべての決定をアンケートで行ったという会話の後の、この決定的なやりとりです。

「あの、本郷さんが脚本を書くことも、ですよね?」
すると沢木口は、思い出すように少し考え、それから苦笑いを浮かべた。
「あ、それは違ったわ。そういうことができるのが本郷しかいなかったから。信任投票までする必要もないしね」
「すると立候補?」
「ううん、他薦。誰が言い出したんだかなぁ。そこまでは憶えてない」
その言葉を聞いた千反田が、ふとかなしそうに眉を寄せた、ように俺には思えた。理由は俺にはわからない。いったいこの件に関して千反田がどこでどういう感情を持ってきたのか、俺はそいつは皆目見当がつかないのだ。

こんな唐変木ですが、実は第四作では彼は過去2ヶ月くらいのできごとを詳細に思い出しながら、誰が何を想い、考えたのかに気をつけながら、見えなかった事件の姿を組み立ていきます。このあと少し成長しますから、みなさんも生暖かく長い目で見守ってあげてください。
千反田さんはすでに江波との会話で本郷真由は自分に似ているという感想を持っています。責任感が強く、優しい。そんな彼女がクラスメイトの誰かの適当な推薦で脚本家を押しつけられる様を想像したに違いありません。
このあと、部室での沢木口案検討会で、珍しくも千反田さんが真っ先に口火を切ります。沢木口案は、超能力を持った怪物がこのあと全員を殺してしまうというものでした。

沢木口案に真っ先に反対を唱えたのは千反田だった。
「違います、絶対に違います。沢木口さんの説は絶対に本郷さんの真意じゃありません」

この後、沢木口案の完全性を暗に指摘する里志の意地悪な反論にも千反田さんは屈しません。酒の力を借りている、という流れですが、これも作者の意地悪です。この作者は大事なことに二重の意味を持たせることが多いのです。
酒の力を借りて強気に出ているように見える千反田さんは、実は、もう本郷真由が何を考えて脚本を書いたか、かなり強いイメージを確立しています。それは親近感といっても良いものです。それ故の強気なのです*4。描写はありませんが、前日借りて返ったホームズの短編集を彼女は読んだはずです。そして、ひょっとするとですが、本郷が付けたしるしの意味に気づいていた可能性もあります*5。きっと千反田さんはこう思っていたに違いありません「だって、わたしならそんな脚本は書きません」と。
しかし、この日の彼女はチョコレートボンボンの毒に早くからおかされていました。検討会の最中、彼女は酔って寝てしまい、次の日は二日酔いで部室に来ることができませんでした。そういうわけで、奉太郎は千反田さんがほぼ独力で構築した重要な本郷像を聞く機会を失ってしまったのでした。

優しいヒロイン

千反田さんは、以上のように古典部の面々が問題を技術的にとらえようとしていた傍らで、ひとり本郷真由の姿に迫ろうとしていました。自分に似て、優しく、責任感の強い、だけどもろい上級生。本郷が置かれた境遇に胸を痛め、ホームズの短編集への彼女の感想に共感を覚えた*6故に、千反田さんは奉太郎説を退けます。
そして彼女が本郷さんに憶えた共感はこんな風に本作の終わりを優しくまとめます。『エンドロール』のチャットログから引用。

L:ええとですね。わたしと本郷さんが、似ていたからだと思います。
ほうたる:?
L:あ、なんだかちょっぴり、恥ずかしいですね。
L:笑わないでくださいよ
L:実はわたしも
L:ひとの亡くなるお話は、嫌いなんです

愚者のエンドロール』は「才能」という、若い時期に誰でも一度は気にする事を苦く描いた作品です。が、まさにそのエンドロールでの『愚者』*7の優しい言葉に読者は救われます。
そして、やはりこの作品は推理小説なのです。『不可視の進入』での古典部部室の会話を引用します。ミステリ小説をどの程度読んだかみんなに問う里志に「読みません」と答えての千反田さんの言葉です。

「わたしは、読みません」
「え」
意外そうな声。俺もどっちかと言えば意外だった。千反田の、どんなくだらないことからでも謎を見つけ出してくる性質から思えば、推理小説は奴の好みなんじゃないかと思っていたからだ。里志は念を押す。
「全く、全然?」
「わたしはあまりミステリーを楽しめないかもしれない、と思うぐらいまでは読みました。ここ何年かは全く触れていないですね」

ミステリーはひとの亡くなるお話が多いですからね。ちゃんと、証拠は提示されていました。そして古典部シリーズは死人の出ない「日常の謎」と呼ばれる事件を解くシリーズです。ぴったりのヒロインです。
優しい彼女は、『クドリャフカの順番』で本郷さんと会っていたら、きっと学年を越えた良い友達になれたことでしょう。

ふたりの距離

古典部シリーズはやはり、奉太郎と千反田さんの仲がちっとも進まないことが気になるわけです。
すでに書いたように『氷菓事件』の後、千反田さんの気持ちはすこし奉太郎に傾いています。それは恋心ではないですが、一緒にいると楽しい気持ちにはなっているようです。それを理解した上で、すこし気になる描写が。二章『古丘廃村殺人事件』にて、最初の探偵役の中城に会うために学校にやってきた面々が古典部で待機している場面です。
面倒になって「やっぱり行かない」と里志に電話したら、主人公の家まで千反田さんが迎えに来た!*8という、彼女の行動力に対する愚痴を奉太郎が頭の中でつぶやいた後のシーンです。

その千反田は、何が嬉しいのかにこにことたたずんでいる。

もはやここまで来たらおわかりかと思いますが、古典部シリーズで奉太郎が千反田さんの言動を「わからない」と言っているときには、見過ごしてはならない何かが隠されています。
しかしこのシーン、事件の解決に関係することは、何もありません。とすれば、事件には関係のない、彼女の重要な心象を表していると考えられます。前日突然舞い込んできた風変わりな謎。その謎解きが今日から始まります。わたしは思うのですが、このとき、千反田さんは折木奉太郎の大活躍を再度間近でみることができることに心躍らせていたのではないでしょうか*9氷菓の時には当事者であった千反田さんですが、今回は第三者として奉太郎の活躍を見ることができるわけです。
であるからこその、七章『打ち上げには行かない』の、悲しそうな表情だとおもうのです。奉太郎に聞かれて、彼の説は本郷の真意ではないと思うと彼女が話すシーンです。

「それを、教えてくれないか」
目の前の信号が赤くなった。人の流れが寸断され、たちまち横断歩道の前には神高生の人だかりができる。その中で話すことを憚ってだろう、千反田は答えない。横顔を見たが、いつもどこか柔らかさを含んでいた目元が、少し憂いているようだった。目の大きさが隠れた千反田は、本当に清楚に見えた。
信号が変わり、人の波が動き始めると、千反田はゆっくりと話し出した。

単に友達が推理を外しただけなら、こんな表情はしません。楽しそうな推理が外れて残念!でもありません。千反田さんの憂いは、推理が外れたことではなく、推理を外した奉太郎の心をおもんばかってのことなのでしょう。
地方都市を舞台とした古典部シリーズは、ゆっくりと時間が流れる物語です。二人の距離もじれったいほどゆっくりとですが、少しずつ縮まっていきます。願わくば、この二人がハッピーエンドにたどり着きますように。そうして、著者がの執筆ペースがもっと上がりますように。

追記:タロットのシンボル

タイトルにもなっている『愚者』は、里志が戯れにメンバーに割り当てたタロットのシンボルのうち、千反田さんを表すものです。この戯れはあとで奉太郎の推理に決定的な影響を与えますが。
そこでそれぞれの登場人物がどうなのか、タロットについて調べて考えてみました。Wikipediaでちょろっと読んだだけですから調べた内には入りませんが、正位置、逆位置など、なかなかおもしろいです。

女帝(入須冬美)
奉太郎は作中、「母性愛、豊穣な心、感性」といった『女帝』の意味が、入須にあたらないと考えています。しかし、私の上の想像が正しければ、これらは入須の内面に合っています。内面と外面が必ず一致しなければならいというシバリはありません。古典部には千反田さんがいます。
力(折木奉太郎
これは作中奉太郎が感じたとおり。逆位置の意味は「甘え、引っ込み思案、無気力、ひとまかせ」などだそうで…おいおい(笑)。
愚者(千反田える
「冒険心、好奇心、行動への衝動」だそうで、これは奉太郎が思ったとおり当たっていますね。そして『愚者』には、何らかの意図を持って歩き回る人と言った意味もあるそうです。本作で千反田さんが行ったのはまさに、意図を持って歩き回ることでした。ちなみに逆位置には、「わがまま、気まぐれ」なんてのもありまして、これは奉太郎の千反田さん観じゃないですか!
魔術師(福部里志
「状況の開始、独創性、趣味」。これはどうでしょう。彼の場合ぴったりではありますが、本作の中ならではといった魔術師的行動は感じられませんでした。ただ、奉太郎説への批判は彼の趣味に対する深い知識から来ていました。あと、魔術師の絵って袋をそばに置いて、怪しいものを机に並べているんですね。まさに里志です。
正義(伊原摩耶花
「平等、正義、公平」。奉太郎も納得のシンボル。奉太郎説への批判における「…三人の見解を却下したくらいに厳密に見ると…」は、まさにこれらの意味どおりです。また作中、彼女は千反田さんと奉太郎、里志への扱いの違いをみせ、二人を「ダブル・スタンダードだ」と苦笑させています。これは逆位置の「不正、変更、不均衡」にあたりますね。

タロットの意味は里志がそれぞれに当て填るように選んでいますから、適合するのは当然と言えば当然です。が、どうも作者は意図して言動をタロットのシンボルにあわせてもいるようですね。

*1:そんなシーンがあったら千反田さんは顔を真っ赤にしてうつむいてしまうことでしょう

*2:あとで沢木口にも聞く。

*3:『毒入りチョコレート事件』では7個食べた被害者が死ぬらしい。千反田さんが食べたのも7個

*4:もちろん、酒が入ってなかったらもっと柔らかい言葉だったろう

*5:ただ、この仮定は危険でもある。すこし勇み足

*6:繰り返すが、この仮説はちょっと勇み足

*7:里志は千反田さんにタロットのシンボルとして『愚者』をあてた

*8:シリーズ4作目『ふたりの距離の概算』では、このとき道に迷って近所から電話してそのまま待っていたので家には行っていない、ということになっている。

*9:直前のエピソードは短編『正体見たり』で、大活躍ではない。

/* -----codeの行番号----- */