さよならクラーク

4半世紀ほど前の大学進学を控えた夏休みのことです。ふと本屋でSFと呼ばれる部類の単行本に手を伸ばしました。そもそもそれほど小説には興味が無かった私でしたが、科学関係の書物はよく読んでいたことから、宇宙や未来を描く作品にはそれほど敷居の高さを感じませんでした。特に理由も無く選んだのは2冊。一冊はハインラインによる「宇宙の戦士」。そしてもう一冊はクラークの「2001年宇宙の旅」でした。

決定版 2001年宇宙の旅 (ハヤカワ文庫SF)

決定版 2001年宇宙の旅 (ハヤカワ文庫SF)

既報の通り、SF作家であり、科学解説者でもあったA.C.クラーク氏がなくなりました。R.A.ハインライン、I.アシモフと並んで古典SF3巨匠に数えられ、映画「2001年宇宙の旅」ではクラーク自身の短編「前哨」を下敷きにした脚本をキューブリックと協同で執筆したことでも有名です。
もともと科学畑の出身であったこともあり、作品にはハードなもの、つまり科学的に緻密な考察を下敷きにしたものが多くありました。たとえば以前紹介した長編「渇きの海」は「水のように流れる紛体でできた湖が月にあるとすると、そこでの観光や事故はどのようなものになるか」が基本的なアイデアで、その上にがっちりとした世界が構築されています。スターウォーズ以降のスペースオペラ作品群と一線を画すのは荒唐無稽といえるアイデアの数をストイックに押さえ込んでいる点で、クラークのSFには科学と技術の延長に書かれた作品がたくさんありました。
一方で宇宙からの超知性体の来訪といった作品もありました。それらは長編「2001年宇宙の旅」「幼年期の終わり」「楽園の泉」のように、宇宙からの隣人の登場で人類が大きな変貌を遂げるのが特徴です。クラークは宇宙人との接触が大規模な変化を人類に与えるだろうと考えていたようです。「宇宙のランデブー」はその接触が起きる狭い時間を綴った長編で、理解できない訪問者にどのように人々が対応するかを描いたすばらしい作品です。
静止衛星による全地球通信網の特許を出したが却下された、などという武勇伝もある一方で、衛星軌道まで届く重力エレベーター、電磁カタパルトによる貨物打ち上げなど壮大なアイデアを披露しています。また、英国人的なブラックユーモアが随所に現れるのも彼の作品の特徴です。特に殺人光線や光線銃といったガジェットが特撮映画で使われているのがよほどおかしかったらしく、それらを茶化した作品がいくつかあります。
基本的に「科学技術はよい方向に進む、人類は科学技術を最後にはよい方向で使うことができる」という信念のこもった作品が多いのも、今の世の中から見ると特徴的かもしれません。
日本ではそれほどでもありませんが、クラークは英語圏では科学解説者としても有名です。以前ロンドンを訪れた際、科学博物館ではなく、隣接した世界史博物館にクラークの特設コーナーがあったことがそれを端的にあらわしています。
高校生のとき初めて読んだ本格SFに、私は体が震えるような感動を覚えました。その自由な発想に、それでいてご都合主義を廃した世界観に心を揺さぶられた私は、「2001年宇宙の旅」以降、クラークとハインラインの作品を中心にむさぼるようにSFを読みました。大学時代を彩ったSFの数々は忘れがたい思い出であり、あの夏クラークの作品に出会えたことは、振り返ってみるととても幸せなことでした。
クラーク、ありがとう。そしてさようなら。
宇宙のランデヴー (ハヤカワ文庫 SF (629))

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楽園の泉 (ハヤカワ文庫SF)

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