科学技術への投資

日本が技術立国だということに私は深い疑念を抱いています。が、それはこの際おいておきいて、将来科学技術を重要視する国になるのかどうかというのは重要な政治目標として掲げなければなりません。目標には予算が必要です。科学技術の研究に予算が必要ならば、それを付けなければ研究は前に進みません。
一方で、ばら撒けばいいというわけではありません。研究とは名ばかりで、自分の趣味程度のことをやっている人が多いのは事実。ですからこの発言は堂々たる正論です。

ところが財務省は、「科学技術も聖域ではない」と、来年度以降の科学技術関係予算の削減を強調。先月まとまった財政制度等審議会の建議では、「国民への成果に着目した目標設定が必要だ。投入目標は設定すべきではない」と明記された。

科学技術予算だから何が何でも無条件に出すなどということは許されません。厳しい管理が必要です。しかし、しかし、簡単に予算を割り振れないのが科学技術研究の難しいところです。非常に高度なものであれば、税収に結びつくのが遠い将来だとしても*1、あるいは確率の低い賭けだとしても、基礎研究の名の下に投資が必要なのかもしれません。
だからこそ、財務省はお金の使い方についてきちんとした管理力が求められるのです。無駄をなくし、正しい場所に予算をつけなければなりません。天下り官僚などが牛耳る団体がどれだけわれわれの金を無駄遣いしたか考えれば、財務省の怠惰は強く批判されるべきであり、厳しい立場で予算配分にのぞむこと事態は是とされるべきです。
しかし、だからといって勘違いされてはたまりません。

同省の中川真主計官は「最近、国民の科学離れが進んでいる。国民が支持していない分野の予算を増やすことを、国民が望んでいるとは考えにくい」という。

だれがあんたに人気投票のレフェリーをやれと頼んだ。財務省が国の方向をリードするようなことがあってはなりません。それは政府の仕事です。金を握っている奴に権力を与えるとろくなことにはなりません。
財務省はほぼ、元栓締め程度の仕事しかしていません。隅々まで見ろとはいいませんが、各省庁と積極的に協力して予算の正しい使い方、その評価の仕方を日々確立、修正していかなければならないと思うのですがどうでしょうか。

*1:19世紀の研究者、マイケル・ファラデーの逸話が振るってます。ある政治家先生がファラデーの電気の実験を見た後に「たいした実験ですが、なんの役に立つのですか?」と質問。伝説によれば「そのうち課税できるようになるかもしれません」と切り替えしたとか。

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