多様性

街を彩る垂れ幕はこの三種です。最初にこれを見たとき、「ああ、Diversityの国なんだなぁ」とつくづく思いました。Diversityとは多様性という意味ですが、時に人種的多様性の意味でも使われます。私の知人がボストンに赴任するとき、会社に近い郊外の町にしようと思って同僚に相談したそうです。その同僚(白人)いわく、「郊外は排他的だからやめておいたほうがいい。Diversityのある街中のほうがいい」。多分言いにくいのを押していってくれた言葉でしょう。都市部では「人種も性別も関係ないよね!」と一生懸命ですが、郊外に行くとどんなにフレンドリーに見えても住民として迎えるかというと別問題なのかもしれません。考えさせられる問題でした。この三種類の絵をみると、障害のあるなしも多様性として積極的に捕らえようとしているボストンの姿が目に浮かびます。
地下鉄の駅やバス停には過去のマラソンの光景をうつしたポスターが貼られています。どれも有名選手ではなく、無名の人ばかりです。ある写真は白髪のおじいさん、ある写真は疲れた女性をいたわる他のランナー。莫大なマラソンの運営費用を捻出するためには有名選手を呼んで放映権を売るしかありません。しかし、ボストン市は市民のマラソンであることに誇りを持っているんだと感じさせます。
ボストンマラソンに出場するには公式レースで一定の成績をあげていなければなりません。しかし、多くの人が無許可ランナーとして選手の後ろから走り、それをやはり多くの人が応援するそうです。そちらのほうがボストン市にとってはマラソンの本質かもしれません。

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