言葉の不思議

時々、機会を見ては南部陽一郎さんのクォーク 第2版 (ブルーバックス)を読んでいます。「読み返す」でない理由は、まだ読破仕切ってないからです。いやはや、難しい本です。手元の本の中では般若心経・金剛般若経 (岩波文庫)と並ぶ難解さかもしれません。
物理学関係は良質な通俗向け解説書が多く翻訳されています。それらを片っ端から読んでわかっていた気になっていましたが、この本を読むといかに自分が天狗なのか身にしみます。
閑話休題。ほとんどわからないにもかかわらず読み続けている理由の一つに、南部博士の日本語を読む楽しさを挙げる事ができます。書き散らしたような本が多い中で、この本を成り立たしめている日本語のすばらしさは貴重です。特に楽しいのは素粒子論関連の人物紹介でしょう。物理学の巨人にはエピソードがつき物ですが、何と言うか、我々の世代には望めないような*1筆致でそれらを紹介してくれます。いくつか抜き出すと、

フェルミ
「私は初めて彼の学会講演を聞いたときの感想を友人に書き送った。『フェルミは歌舞伎の舞台に立った役者のようだった』」
ファインマン
「物理については、横紙破り的なスタイルで新しい見方を展開し…」
朝永振一郎
「繊細な日本的感覚の持ち主で、一年間のアメリカ生活は苦労だったらしい。『天国に島流しにあったようだ』と弟子達に洩らされた」

むむむ。もっともっともっともっと精進しないと、こんな文章は書けそうにありません。いや、正直言って書けないです。そういえば、以前お会いしたときにQianChongさんが「台湾のお年よりは私達には到底仕えないような美しい日本語を話します」とおっしゃってました。QianChongさんといえば、この方も何かこう、こちらが焼きもちを焼いてしまうような日本語をお書きになります。

この人の語り口にはどこかこう、こちらの背筋を伸ばさせるものが。

書評でこの言葉はでてきません。こんなQianChongさんの文章がタダで読める「はてな」はお得です。

*1:世代のせいにするのはわれながらずるい

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