的外れな自炊批判

すでに、あちこちであきれられているでしょうから私がコメントするまでもないですが。

だがこの手だれの古書店主にしても、近ごろ書物の“自炊”がはやっていると聞けば驚くだろう。自分で本を裁断し、1ページずつスキャナーで読み込んで電子書籍にすることを指す隠語だ。iPadなどの登場で注目され、高価な裁断機が売れているという
本の悲鳴が聞こえてきそうな蛮行である。いや、「陶板や木簡から紙に変わったのが、今度は電子データになっただけ」とドライな考え方もある。引っ越しのたびに本の山と格闘し、腰を痛めた身には心が動くのも確かである

蛮行ねぇ。
なんでしょう、どこから突っ込めばいいのでしょうか。ものに精が宿るという土俗信仰的な発想に突っ込みましょうか。それとも、読んだ本をすべて手元に置けない都市生活者のことに考えが及ばない貧困な想像力に突っ込みましょうか。あるいは本は読むだけでは不十分だ、愛でよという押しつけに突っ込みましょうか。
まぁいいや。
若い人には存分に自炊を活用してほしいと願います。私が若い時代にそんなことができていれば、「あの本には確かこう書いていたはずだ」と、体の衰えとともに薄れていく記憶に苦い思いをすることもなかったでしょう。鮮明に覚えているのは、手元に好きな本すら置いておけない甲斐性のなさへの嘆きばかりです。

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