『バグダッド・カフェ』

近所の映画館で『バグダッド・カフェ』を再上映していたので見てきました。私が上京したころに封切られた映画です。映画好きで知らない人がいないような作品ですが、初見です。以下、ネタバレだらけ。

さて、見たはいいものの困惑しています。って、見たのは先々週なんですけどね。この映画、難しいです。

ストーリーは簡単ですよ。ドイツからやってきた旅行客が、うらぶれたカフェ兼モーテル『バグダッド・カフェ』に活気を呼び寄せる。それだけです。難しいのは、なぜこの映画がこれほど心に残るのか、です。

正直言って、ストーリーはバラバラです。前半頻繁に差し込まれる幻覚的なシーンの意味もよくわからないです。ヤスミンが夫と別れたままなのに、ブレンダが夫と再びくっついた理由がよくわかりませんし、大詰めのマジックショーも楽しくはありますが、ストーリーの上でこれが絶対必要かというとわからない。どうも全体を通して木に竹を継いだような気持ちが悪さがあります。

ただ、ひとつ強く印象に残ったのは登場人物たちが皆、行き詰まっていたことです。要領の悪い夫に苛ついて四六時中怒鳴り散らすブレンダは言うに及ばず、遊んでばかりの娘、ピアノは結構うまいのにこんな田舎でピアノを弾いても意味がないとわかっている息子。ブレンダの顔色ばかり伺っている使用人。一人、悠然と微笑みながら何をするでもないモーターホーム住まいのヒッピーじみた爺さん。そしてバックパックを担いで流れ着き、ブーメランを飛ばす以外に取り立てて何もしない若者。刺青屋の女。

活気がないというより、風に吹かれてこの淀みに集まってきたといった体です。

その連中が同じく風に吹かれてやってきたようなヤスミンとふれあうようになってから少しずつ変わっていく、というのがこの映画の見せ場ではあるのですが、驚くほど唐突です。激しい出来事をきっかけに、何もかもがいきなり上手く行き始める。

しかしながらその唐突さにほとんど不快感がありません。不思議です。普通はわけもなく唐突にストーリーが進むと居心地が悪いのですが。なぜだろう、と考えてみたのですが、私が考えたところでは、ヤスミンが人間を超えた存在であると匂わされていることに原因があるようです。

無論、ヤスミンは人間として描かれています。しかしながら、中盤、突如ピアノの理解者としての立場を打ち立てた彼女は、ピアノのメロディを聞きながら目を閉じます。そして、そのシーンでそれまで怪しいヒッピー崩れといった立場だった爺さんが、突如として彼女の姿にマリア様でも見たかのような態度を取ります。

映画の英語タイトルは Out of Rosenheim。遠くドイツにある天界でうまく行かなかったヤスミンがネヴァダ砂漠まで落とされ、バグダッド・カフェで信者を得た。そう考えるとマジックショーにも、幻影じみたシーンにも、ヤスミンが夫とよりを戻さなかったことも、爺さんがぐいぐいと紳士的になっていったことも、刺青屋が溶け込めなかったことも、ヤスミンに子供がないことすら、納得できてしまいます。

この映画は救世主が現れて人々に救いの奇跡を起こす話だと考えれば(というかどうやら私は映画館でそのように見てしまったらしい)、とても優しくて楽しい映画として受け取ることができました。

こじつけですけどね。

音楽も素敵な、良い映画でした!

 

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