電子計算機ばかり相手にしているからだ

ウルトラセブン』の再放送を観ていたところ、『空間X脱出』の冒頭に面白い会話がありました。

「スカイダイビングは弱いんだよ」
「馬鹿野郎、電子計算機ばかり相手にしているからだ」

アマギがソガ隊員に檄を飛ばされているわけですが、1968年当時から「コンピュータを触ってる奴はもやし」という感覚があったのですね。観ながらにやにやしていました。
この作品もまもなく50年ですね。

先週近所を散歩したときの写真です。
最初に桜の予報を聞いたときには「満開は3月30日頃」などと聞いていたのですが、蓋を開けてみると寒波。4月1日で1分といった所でした。
とはいえ、予報が外れたおかげで静かな公園でよい写真を撮ることができました。

Pentax K5 / Sigma 70mm DG Macro. トリミング後50%に縮小
リンク先の大きな画像がお奨めです。

雨の海の夜明け

久しぶりに望遠鏡を引っ張り出してお月様を眺めました。
やはり望遠鏡で眺めるなら半月に限ります。ちょうど雨の海のアルキメデス・クレーターが夜明けを迎えたところでした。
ついでに、一枚ぱちり。

Vixen 90mm Mkstov Caseglen + 20mm + Google Nexus 5x 50%縮小してトリミング
以前、木工で双眼鏡とデジカメを接続するアダプタを作りました。
今はこんな便利なものが売られています。

光軸はでませんし、ピンとの調整もままなりませんが、逆に「スマホでここまで写る」ことが素晴らしいのかも知れません。もっとも、どんなにいいカメラを持ってきても、鏡筒の焦点面が湾曲しているのでどうしようもありませんが…

理想の机

自宅では20年くらい前に購入したPC机を使っています。
まだ17inchのCRTを使っていた頃の製品です。PCはPentium機で、外にMacintosh Quadra 650を持っており、中古のi486機にLinuxを入れてファイルサーバとしていました。その後、随分PC環境は変わりましたが、机は同じ物です。
さすがにきちんとした物が欲しくなりました。
今のつくえにはいろいろな不満があります。

  1. スピーカーを置けない。現在利用中の27inchモニタは幅一杯のため、スピーカーが後ろに隠れています。余り使わないとはいえ、スピーカーは前に出ているべきです。
  2. 読み物、書き物ができない。奥行きが狭く、キーボード以外の物を置くスペースがありません。キーボードを横に退けても、電球との間に私がはいるため、読書ができませんし、A4の紙は置けません。
  3. 工作が出来ない。同じく狭くて出来ません。

そういうわけで、机の新調を考えているのですが、さすがにもうずいぶんな年齢なので、今後20年使うことを考えて少し張り込もうと思っています。
だいたいこんな感じです。

  1. 120cm*90cmの集成材による天板。十分な幅と奥行きを確保して、読み書き工作の場所を作ります。スピーカーも置けます。
  2. モニタ用アーム。使用しないときにはモニタを跳ね上げることにより、モニタ後ろのスペースを確保します。
  3. 十分なコンセント。PCやモニタの外、多数の機器をまかなうコンセントを机に備えます。
  4. 天眼鏡付きライト。ライトで読書や書き物も楽にできます。最近目が弱いので天眼鏡は必須です。
  5. PCスペース。PCは机の下に吊り下げる予定です。

部品や工作機械の下調べをしているところです。

VR本屋

なるほど、これは良いアイデア

VR書店は実際には本がないが、店舗内で来客がウエアラブル端末を頭部に装着すると、目の前に本棚が並ぶ書店を模したVR空間が広がる仕組み。歩いて本を探したり、「立ち読み」したりすることができる。

ここ2年ほど、
「紙の本は控える」
と、電子書籍ばかり買っていました。
結果はと言うと絶望的なくらい読書の幅が縮まりました。Amazonですらまったく本との出会いがありません。知っている本としか出会えないのです。私が使っている電子書籍サービスはKinoppyですが、そちらに至っては泣きたくなるほど酷い有様です。最近のKinoppyのサイト、企画バナーと広告だらけです。担当者を全部左遷した方がいいですよ。
ネットの本屋に欠けているのはよい店員です。棚を管理する人がいないのです。きちんとした考えを持っている店員の作り上げる棚は、実に楽しいものです。最近考えを改めて、また本屋で本を買うようになりました。顔が青くなるほどお金が飛んでいきます。棚に並んでいる本がどれもこれも楽しそうなのです。世の中にはこれほど楽しい本がまだあったかと、なんだか雑誌の怪しい広告みたいな気分でいます。
誰が何といおうと、今後実世界の本屋は減っていくでしょう。すでに町の本屋さんと言える店は、私の通勤圏ではほぼ視界から消え去っています。気が向いたからちょっと本屋に立ち寄って面白い本を物色する。そういう経験はなかなかできなくなっていくでしょう。ですから、コンピュータで仮想本屋を作るというのも理にかなっています。現実世界で体験できないことをコンピュータで体験するのですから。
よい棚を作る店員に利益が回るようにすれば、成功するかもしれません。

Maker Movementは日本の組み込み産業を変えるだろう

その前に産業が死滅する。
と、誰もが思っているでしょう。しかし、産業は人が作るものであり仮に再生するとしたらやはり人が再生するものです。そしてMaker Movementは多少なりともそのとき再生に携わる人達をかえるかもしれません。
何度かMake Tokyo Meetingを覗いたとがあります。面白いと思いましたし一時期参加使用可と考えたこともありますが、結局は距離を置きました。Maker Movementについては批判的な意見もたまにみかけますが、私の場合はもっぱら自分の関心をもつフィールドが違うから、と言う点にあります。それはこの際関係ありません。

閉鎖的な日本の組み込みソフトウェア

日本の組み込みソフトウェアに携わる人は、IT系のそれに比べるとかなり閉鎖的でした。
IT産業は、規模がまだ小さかった頃からネットワークやフリーソフトウェアの洗礼を受けています。IBM PC互換機という今となっては古い言葉である共通プラットフォームをベースに、最近になって急速な発展が起きたため、産業の輸入といっしょに文化も輸入されています。結果的に成果物だけではなく、知見も共有するという「オープン」な文化が育ちました。その結果、早い時期からIT系の人々は会社を越えて技術的的な交流を行っています。
一方、日本の組み込み産業はもともと世界制覇を成し遂げた民生用電子産業が大きな母体となっています。そのため、大学を出た後は企業で設計を学んだ人や、企業に入る前に独学で学んだ人が多く、技術交流に対しては「会社の技術を漏らしてはいけない」という大きなハードルがあったのでは無いかと思われます。

流れは変っている

自分が見通せる範囲の話でしか有りませんが、Maker Movementと後で名付けられた動きは、華々しいブームが終わった後も確実にその爪痕を残しているようです。あちこちで自分が作ったものを見せ、他人が作ったものを見、お互いが言葉と情報を交わすという文化が定着しているようです。こういった動きは当然所属する企業とは無関係に行われています。
重要な事は、それらに携わっている人々は、古い世代とは異なり
「会社の技術は会社の技術。自分の技術は自分の技術」
とはっきり線を引いていることでしょう。そして、技術を磨く場が会社の外に発生している以上、会社とは関係ない技術も磨くことになります。

新しい産業を支える人達

最近はあちこちで「再生」という言葉を聞きます。裏返せば、日本のあちこちが死にかかっているわけです。SNSでの活発なやりとりを見るにつけ、私のような旧体制の人間が産業ごと退場した後、産業を再生するのは新しい文化と価値観を身につけた人達だろうなぁ、などと感じています。

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