映画『オレゴン魂』

ジョン・ウェイン主演の『オレゴン魂』を観ました。

1975年の作品です。この作品は1969年の『勇気ある追跡』の続編です。『勇気ある追跡』(True Grit)は前年にヒットした同名の小説の映画化ですが、『オレゴン魂』は主人公が同じだけで小説には関係ないようです。

つまりこの映画は『勇気ある追跡』の大ヒットを受けてジョン・ウエイン用に当て書きされた脚本による続編映画です。

ルースター・コグバーンは凄腕で鳴らした南部軍あがりの保安官ですが、度重なる犯人射殺のために保安官バッジを取り上げられてしまいます。彼はどの射殺も正当防衛だったと主張しますが、昔なじみの判事は「もう南部も法が支配する時代になった。法に従え」と彼をたしなめます。

しかし、銀行強盗をたくらむ一味が騎兵隊の爆薬を強奪。判事が募る援軍が集まらぬまま、コグバーンはバッジを受け取り単身一味を追います。途中、神父である父親を射殺された老シスター(キャサリン・ヘップバーン)とインデアンの少年を助けたコグバーンは、しぶしぶ3人による珍道中を始めることになります。

この映画を観終わって調べて初めて知ったのですが、ジョン・ウエインとキャサリン・ヘップバーンは同年同月生まれです。ともに往年のハリウッドを代表するスターでありながら、共演がこの作品が初めてでした。

キャサリン・ヘップバーンの経歴を調べると、この映画に関して面白い見方が浮上しています。これは脚本がジョン・ウエイン(と、おそらくはヘップバーン)に当て書きされているためだと思いますが、コッグバーンとシスターの境遇は妙にジョン・ウエインとヘップバーンに似ています。

西部を銃が支配した時代に辣腕保安官として生き抜いたコグバーンは、法の支配が西部に及ぶに至って社会とミスマッチを起こします。彼は銃による生き方しか知らず、変える気もなければ、おそらくは変える方法を知りません。時代の変革についていけなくなった老人として、一人取り残されていく自分を見守ることしかできません。

一方、演じるジョン・ウエインですが、スターダムに上り詰めた後は一貫して強い男と愛国者を演じ続けました。しかしながら、ベトナム戦争を経てアメリカにはリベラルと反戦の風が吹き、西部&戦争映画という彼の世界は次第に社会から取り残されていきます。実際、ジョン・ウエインは翌年の『ラスト・シューティスト』を遺作として1977年に世を去っています。

さて、シスターは強い女です。村に無法者がやってきたときにその行いをたしなめたシスターは、繰り返し足下に発砲する男に対して、瞬き一つせずに説教の言葉を続けます。相手が何者であっても屈せず鋭い言葉を返すシスターは、道中繰り返しコグバーンを言葉で圧倒します(女性の言葉に手を焼くシーンは、ジョン・ウエイン映画では定番)。

そして演じるキャサリン・ヘプバーンは男性が望む女性ではなく自らが望む独立した女性像を打ち立て、銀幕の上で自立した女を演じるのみならず私生活でも男を向こうに回して負けない女として生きてきたそうです。付け加えるならば、彼女は男が女に押し付ける女性像を嫌った一方で、男が軟弱であることを好まなかったようです。

そう考えると、馬車の上で並んで話をする老人の会話を、当時のアメリカ映画ファンがどうとらえたかは大変興味深いものです。それをしみじみ考えるためだけにこの映画を観る価値があります。インデアンの少年がコグバーンに「インデアンでも保安官になれるか」と問うシーンは、ハリウッドにもリベラルの風が吹いていたことを象徴しているようです。

老保安官が多人数相手に堂々のガンファイトを繰り広げるはずもなく、この映画ではいくつもの奇策が繰り広げられます。そのあたりは老いたクリント・イーストウッドが演じた『グラン・トリノ』にも通じるものがあります。

終わってみればジョン・ウエインによるおなじみのメロドラマですが、ロケ地であるオレゴン州の緑と青空が大変美しく、映像が印象に残る映画でした。前作の原作であるTRUE GRITの舞台はアーカンソーオクラホマ、テキサスといった南部であり、オレゴンとは無関係です。また、本作でも劇中では一言もオレゴンだとは言っていません(と思う)。

オレゴン魂』という邦題は、きっと美しいロケ地からつけたのでしょう。

 

 

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