甲斐性

天神茄子さんのエントリーから

そうそう。これからハイデッガーを誉める日本人にあったら『じゃあ、ユダヤ人を日本人に置き換えてもハイデッガーを尊敬する?』と聞いてみよう。ユダヤ人に代わって数百万の日本人がガス室で殺され焼却された。その政治体制に加わり利用した『哲学者』を尊敬できるか?

これは、穢れを許してその業績だけをたたえることが出来るかという、思考の純粋性の試験なのでしょうか。それとも、「そんな奴を尊敬するのか」という無知の糾弾なのでしょうか。なんとなく、これまで読んできた天神茄子さんの文章から考えると、前者のような気がします。天神茄子さんには、思索の求道者のような雰囲気を感じることがあります。我々が生きている社会について思索するとき、それを善悪、良否のような単純二分で納得しきれる人にはない、苦悶の残滓というか。ファン心理がストーカーに近くなっているぞ > 俺
ソ連が手に負えなくなる前に先制核攻撃を主張した哲学者が居たはずですが、名前を思い出せません。囚人のジレンマ―フォン・ノイマンとゲームの理論に書いてあったはずですが、手元にありません。読んだ本を手元に置いておけるだけの甲斐性がないというのは、ずいぶん悲しい人生です。