RPN電卓は時代遅れか

以下のディスカッションを英語掲示板Redditの電卓スレッドで見つけました。

RPN*1電卓愛用者には私を含めて年寄りが多いため、この手の話題は感情的になりがちです。

リンク先も読んでは見たものの、あまり客観的じゃないなという印象でした。

さて、私は40年以上HP電卓を使っています。この件について書く資格は少しあると思います。

争点の整理

最初に明らかにしなければならないのは争点です。リンク先のスレッドでは、最初のポストの人は"RPN"と書いています。

これは計算式の入力方式の話ですが、この人は本当にこの方式の話をしたかったのでしょうか。それともRPN電卓の話をしたかったのでしょうか。あるいはHP電卓の話をしたかったのでしょうか。

1年前の投稿について本人に問いただすのも野暮ですし、有益な回答が得られるとも限りません。ここでは最も有益そうな論点に絞ることにします。

『RPN電卓は時代遅れか』

そもそも電卓が時代遅れ

RPN電卓論議をするときに忘れてはいけないのは、電卓の黄金時代は終わったということです。

今となっては想像しにくいですが、1960年代まで、人は電子回路の設計も自動車の設計も計算尺で行っていました。科学者も技術者も有効数字の概念を知っていましたから、計算尺の計算精度で間に合う問題である限りそれで済んでいたのです。人類の科学技術を支えていたのは竹で作られた計算尺だったのでした*2

1970年代に現れたポケット関数電卓は、計算尺の時代を終わらせました。ボタンを押すだけでパッパッと答えが出る関数電卓は開発者と研究者の間に野火のように広がり、高級計算尺市場を乗っ取ってしまいました。

1970年代は事務用も合わせて電卓の黄金時代であり、特に関数電卓は積分、統計、金融機能、プログラミングといった新機能の追加が続きました。この隆盛は大型コンピュータによる計算を気軽に使えないオフィスでの高度計算という需要に後押しされてのことです。

ところが、1980年代になるとパーソナル・コンピュータが現れます。

電卓より使いやすいキーボードと電卓より使いやすい大画面を備え、電卓よりも使いやすいプログラミング機能まで搭載しておまけに電卓より高速なのです。関数電卓が計算尺を駆逐したように、パーソナル・コンピュータが関数電卓を駆逐しました。

関数電卓側もこれに対抗するように数式計算機能を搭載するなどしましたが、それらもパーソナル・コンピュータのソフトの方がはるかに高度で使いやすくなっていきます。そもそも、機能が豊富になっても入出力のサイズに限度のある電卓では太刀打ちできるはずもありません。

そもそもHewlett-Packard社の卓上電子計算機HP-9100Aが爆発的に売れた理由の一つは、プログラミング言語を学ばなくてもボタン一発で関数計算を行える手軽さにありました。ところが、80年代の関数電卓はマニュアルと首っ引きでなければ使えない機能を多数持つに至りました。機能競争の沼にハマって自家中毒を起こし、自らの利点を潰していたのです。

金融分野では関数電卓の市場はもう少し長続きしました。1980年代のコンピュータはビジネスマンが客先に持っていけるサイズではなかったからです。しかしそれも1990年代の終わりごろには問題ではなくなりました。

21世紀も4分の1が終わった今、研究者や開発者、あるいはビジネスマンにとっての計算の主役は間違いなくコンピュータです。

21世紀の電卓の使いどころ

じゃあ、どこで電卓を使うのでしょうか。一部の試験会場ではコンピュータは使用禁止であり、市場は電卓に残されています。しかしこれは例外でしょう。

今、電卓が力を発揮する場面はオフィスや現場での『考えながらの計算』です。

与えられた数式を実行するのなら、Excelにでも数式を入れた方が早いです。プログラムを実行するならPythonなりMatlabを使うほうがよいです。数式処理も同じ。

問題と向き合っている時に思いついた計算をぱっぱっとこなす。それが21世紀の電卓の使いどころです。

そういう場面では、私は逆ポーランド記法のほうが一般的な数式の記法よりも強いと感じます。

「この値を3倍して……その結果に2を足して……その平方根」

といった、思考の道筋にそった計算を行う上で逆ポーランド記法は非常に手になじむのです。一般的な電卓は記法を拡張することでこういった使い方にも対応してはいますが、結果として文法があいまいになってしまいます。

シンプルで厳格な文法をでありながら、思考になじむ。これがRPNの最大のメリットあり、ボタン一発で簡単に答えが出るのが電卓のメリットです。

まとめ

RPN電卓は四則と簡単な関数を使って考えながら計算するときに非常に有効なツールです。70年代の黄金時代にしがみついていると見逃しがちですが、普段使いの気軽な計算こそ、RPN電卓を使うべきなのです。

*1:RPNはReverse Polish Notationの略。逆ポーランド記法をさす

*2:ドイツ製の木製計算尺に対して、日本製の竹製計算尺は滑りが良く好評だった