スタンリー・キューブリック監督の映画『2001年宇宙の旅』(1968)を映画館で観てきました。映画館で観るのは大学生の時に北九州市から福岡市まで遠征して観て以来ですから40年ぶりくらいです。
3時間たっぷりスクリーンに釘付けでした。しかし「いやぁ、面白かったです」と書いていいものやら。だってキューブリック監督は全くストーリーを説明する気がないですよね。事前情報なしで観たら、ナンノコッチャって思う映画ですよ。
小説のあとがき等について覚えている内容が確かなら、『2001年宇宙の旅』はSF短編小説『前哨』を読んだ監督が作者のアーサー・C・クラークに連絡して共同脚本を持ちかけたことが発端となっているようです。その後この共同脚本に基づいてキューブリックとクラークがそれぞれ映画と小説を世に出したと言われています。
これまた古い記憶に基づく話ですが、『前哨』は映画『2001年宇宙の旅』で言えば第2部に相当する物語です。月面で非人類による遺物が発掘されます。ところがこの遺物から強力な電波が発せられたのでした。おそらくは地球に知的生命体が現れ、その遺物を発見する文明レベルに達したところで警報を出す仕掛けだったのだろうと予測されます。要するに、人類は引き金をひいたのだと。
人類と未知の超文明の接触はクラークが何度か取り上げているテーマです*1。『2001年宇宙の旅』はその引き金が地球周辺に置かれるに至ったそもそもの始まり(映画第1部)と、その行き着く先(映画第4部)によって『前哨』を長編化しています。が、誰もが知るように強烈に印象に残るのは映画第3部の地球から木星*2への旅とトラブルです。
第3部は前哨のストーリーとしては余計なのですが、60年代ハードSFの真骨頂と言える人間と人工知能の対話が骨格となっています。この部分には戦前のイギリスで活動した民間組織である『惑星間協会』のメンバーだったクラークが、その顔の広さで手に入れていた当時最新の知識や彼のお得意のエピソードが盛り込まれています。
例えば、小説版には当時人工知能研究の第一人者だったミンスキーの名が出てきますし、HALの
「内部で何が起きているかわからないが、正しい答えが出てくる」
というのは、当時のパーセプトロンの延長である現在のAIに通じる考え方です。
クライマックスでHALが歌う『デイジー』はAT&Tベル研究所で開発された世界初の『歌うコンピュータ』プログラムで取り扱った曲です。クラークは友人からこの話を聞いていたようです。
また、宇宙服なしの宇宙遊泳もクラークの好きな題材です。
映画『2001年宇宙の旅』はこういったことをほとんど言葉を使わず、映像だけで表現しています。というか、キューブリックは映像技術を使うためにこの題材を利用しているだけなんじゃないかとすら思えます。あんまり投げっぱなしなので、今でもHALのやったことを「人類への反乱」と言っている人がいる始末です。映画の中でHALははっきりと「自分だけでミッションを実現可能だ」と言ってるんですよね。人類に対する反乱なんて大層なものじゃありません。
HALには「ミッションを達成せよ」「ミッション内容をクルーに明かすな」という命令が与えられています。小説版は後者について「クルーに嘘をつくな」という命令と矛盾することからHALがミスを起こすようになったと解説されています*3。HALのミスはノイローゼ状態の人のミスに似ており、その後の振る舞いは隠蔽を図る人に似ています。とても人間くさい。だから「もう大丈夫です」「同じ過ちは繰り返しません」という言葉も信じられません。
強烈な印象を残す白基調の宇宙船内、撮影当時をしのばせるPan American, AT&T, HILTONなどの企業名、無重力船内での活動をこれでもかと表現した特撮、極限まで抑えられた会話。呼吸音と機械音が作り出す押しつぶすような緊張感。どうやって撮影したのかわからない『スターゲート』の情景。
結局今回は2度観に行きました。
ストーリー説明のやる気のなさが全く気にならないほど、映像に圧倒されっぱなしの3時間でした。また上演しないかなぁ。
