勉強する対象としてのプログラミング

面白いWEBページが紹介されていました。

NHKニュースで紹介されている感染者数の地図をつくっている人が、じつは記者だという話です。

 

情報セキュリティのシリーズを担当することになった記者が、相手の話を理解するために勉強を始めたところから話が始まります。やがて、彼は本で勉強するのは苦手なのでサーバーを立て、ソフトをインストールし、自分であれこれ実験するうちにスキルを獲得していったとのこと。

それが20年前の話です。プログラミングができるようになると、身の回りの非効率をプログラムで効率化することを考えます。

プログラマならだれでも身に覚えがあることですが、身の回りの非効率をプログラミングによって解決したいという気持ちは、なかなか抑えがたいものす。この記者はそれをNHK全国レベルの非効率解決に役立てています。

職場の非効率をプログラミングで効率化する話は、最近では属人性問題と絡めて考えられますので必ずしも手放しで薦められるわけではありません。しかし、彼は職場の誰もがFAXに頼って仕事をしていた時に一気にデータ集計の自動化を実現してしまいました。賞賛すべきことです。

さて、読み終えて思ったのですが、やはりプログラミングは教養としても学ぶ価値のあるもののようです。あまり実利実利と言いたくないのですが、プログラミング・スキルをもっていると問題解決に対して視点が増えます。視点が増えるとは言うまでもなく教養の幅が広がるということです。

数学は考える力を強くし、世界で起きていることを理解する力を強くします。同様にプログラミング・スキルは自分の身の回りで起きていることへの見方を変えます。

趣味でプログラミングを行っている人がたくさんいることは衆知の事実です。ここはひとつ、プログラミングを教養と考えて向き合ってみても面白いのではないでしょうか。

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