比叡山仏教の体育会系的側面

朝、スピンバイクを漕ぎながら録りっぱなしだった『ブラタモリ』を消化しています。

ブラタモリは面白い番組で、もともと散歩や地質が好きだったタモリ氏を表に引っ張り出し、日本中の「地元の研究者」がその土地土地を案内するという構成です。タモリ氏の興味のある分野を生かして、地元の文化や産業が地形や地質とどう結びついているかを説明するのが一番の見所ですね。長く見ていると、だんだん地形の読み方が見についてくるのも楽しいところです。

 

さて、今週消化したのは昨年夏の比叡山回。前後編でした。前編では独特の地質が山頂付近の平地群を産み、比叡山という巨大な宗教建築群を可能にしたことを上手に説明していました。ブラタモリならではと言えます。

ただ、後編は見ているうちに耐えられなくなってやめてしまいました。番組が悪いわけではないのですが、出てきた僧侶の言葉があまりにも体育会系的だったので嫌になってしまったのです。

もう番組も削除していますのでうろ覚えなのですが、その方が修行をしていた頃の話でした。

  • 先輩僧侶から寝るなと言われた
  • 寝なくても経を唱えながら歩くことができる

なんですか、この体育会系気質。自覚はないのだと思いますが、苦行自慢のあたりでくらくらしてしまいました。

仏教は般若心経がそうであるように、宗教というより哲学の色合いが強いです。一方で「釈迦は六年苦行の末、それが無益と考えて瞑想に入った」と言われる割には、苦行を捨てていません。ヒンズー教的な苦行好きを捨てきれていないのです。

日本人的体育会気質との相性が良かったんでしょうね…。

千何百年も前からこんなことをやっているのですから、今更我々が体育会系気質を改めようとしても急にはできないのかもしれません。

 

体育会系 日本を蝕む病 (光文社新書)

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