「いわゆる天使の文化祭」

最近ミステリづいているわけでもないと思っているのですが、端から見るとミステリ付いているのかもしれません。夏に読んだ米澤穂信の影響ですね。

いわゆる天使の文化祭 (創元推理文庫)

いわゆる天使の文化祭 (創元推理文庫)

主人公が通う高校は夏休み終盤、文化祭を前に次第に活気づきはじめます。しかし、ある日登校してみると学校中の部室に謎の落書きが貼り付けられていました。やがて「天使」と呼ばるその絵は増殖し、そして文化祭を揺るがす大事件を引き起こします。
著者の似鳥鶏という方は比較的若井方です。代表作は「理由あって冬に出る」。高校生の葉山君が主人公のミステリ小説です。学園で起きる非重大犯罪を取り扱ったこの本は「日常の謎」に分類され、何かと米澤穂信と比較されるようです。米澤作品が「青春時代の全能感の喪失」*1を強く意識しているのにたいして、「理由会って冬に出る」を初めとする似鳥作品はもっと調子がライトです。
「理由あって」と同じシリーズに属する本作でも葉山君が主人公です。一人しかいない美術部の展示がそこそこ順調な彼は、クラスの展示も手伝っています。文化祭の高揚感の中で普段見ないクラスメイトの新しい一面を見るなど、団結心が高まるのを実感する一方で、彼は文化祭を危機から救うために先輩の柳瀬さんと奔走します。
ミステリとしての仕掛けが複雑なせいか、読んでいてしつこいなと感じる点が多かったのは残念です。電車で読んでいる私が悪いのかもしれませんが。あるいはミステリファンにはこの程度、いつものことなのでしょうか。
一つ苦言を。
ライトノベルによくある「鈍感主人公」設定は余計です。あれはハーレム状態を維持するための精神的ガジェットであって、まっとうな小説に引っ張り出していい物ではありません。いくら相手がいつもおちゃらけていても、女の子にキスをねだられたり、目の前であたふたされれば、男の子はかっと体温が上がるものです。そうでない奴なんか男子高校生ではありません。
所で柳瀬先輩は暢気すぎませんか。おちゃらけを楽しんでいるようですが、この分ではあと何回葉山君を横取りされるかわかりませんよ。
全体的には、可もなく不可も無しかな。シリーズ続編出たら買いますけど。

ネタバレ







ミステリの構造としては叙述トリックだと思われます。「そう言えばあのひとはXXとは言わなかった」って奴ですね。それを主人公達の世界で「あのひとはXXと言わなかった」というストーリーが展開される上のレベルで、読者が「そう言えば作者はXXと書いていなかった」とあとで気づく仕掛けになっています。
頻繁にはさまれる回想や視点の変更にだまされて、読者は進行している事象の地理的関係や時間的関係に思い込みを持ち込んでしまいます。そのため、終盤の解決編で「あれ、そうだっけ」「あれ、そうだっけ」と何度も思うことになります。空間と時間の正しい位置関係が開陳されるたびにガチャンガチャンと複雑な機械が組み上がっていく感じです。
が、書く時には苦労したであろうこの作品、残念ながらその複雑な構造が解き明かされる爽快感が提供できていない気がします。さらにいえば、トリックに関する記述に比べて、犯人達の心情の掘り下げがあっさりしすぎている気がします。

*1:閉塞感を打破しようともがく話も目立つ

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