33 パプリカ

2009年乱読活動の引き金になった友人からもらった本です。
筒井康隆は小学生か中学初年のころに読んだ覚えがあるのですが、ひょっとしたらそれは勘違いでこれが初めてかもしれません。

パプリカ (新潮文庫)

パプリカ (新潮文庫)

面白くありませんでした。
精神病の治療のために患者の夢を可視化する装置が開発されるのですが、その装置に双方向性があることがわかってきます。かつて主人公の敦子はその機能を使って患者の夢に直接介入し、非合法ながらそれを治療する活動を続けていました。非合法ゆえ、変名。その変名が「パプリカ」。
前半はその装置をめぐる研究所内部の内紛に巻き込まれた敦子が、新型のワイヤレス機能つき「DCミニ」をめぐるごたごたで追い詰められる話です。
後半は、秘密裏の治療を行っていた患者が都合よく権力を持っている男たちで、彼らが都合よく魅力的且つ、治療方法の特性から都合よく敦子に好意を持っていたことから、奪われたDCミニを協力して取り返す物語です。このDCミニはワイヤレス版として開発されたのですが、なぜか免疫反応により、機能が外部に向けてぼやけてきます。はじめは近傍の有線装置への干渉だったものが、やがて遠距離干渉になり、ついには、夢から現実、現実から夢へと干渉がはじまります。
現実への浸潤の形で進む夢の干渉は、物質化、夢と現実の双方向の行き来になるにいたって、完全に物語の形を破壊してしまいます。物理法則が完全に無視され、各種の縛りがなくなった紙面では、「AだからB」という話を進めることができません。そのため、話が大詰めになってくるとストーリーといえるものはなくなり、単にぶつ切りのエピソードがそこにおかれ、それらが登場人物たちの不安によって串刺し上に並んでいるだけになります。
幻想的といえば聞こえはいいですが、むしろ「他人の夢の話を聴かされることほど退屈なものはない」という誰もが知っている事実のほうが、この小説を評するのに適していると思えます。
解説は、筒井康隆がこの小説で繰り広げる多くの二重性や、登場人物の暗示するものについて紹介していますが、「だから、何?」と思わずにいられません。カタルシスセンス・オブ・ワンダーも思索的掘り下げもなく、登場人物への共感も、知的好奇心も性的情念も呼び起こさない、ぬるま湯のような小説でした。
あえて言えば、作者の小説に対する思想が作り上げた、抽象芸術なのかもしれません。
それが商業ベースで売られるということには純粋な驚きを感じます。あ、センス・オブ・ワンダーあったよ。

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