13 深海のYrr 下

いやはや、実に面白かったです。

深海のYrr 〈下〉  (ハヤカワ文庫 NV シ 25-3)

深海のYrr 〈下〉 (ハヤカワ文庫 NV シ 25-3)

上巻が生物ホラー、中巻が深海ハードSF。で、下巻はファースト・コンタクト。しかも地球生物。しかも人類より進化した生物。プラス、パニック・アドベンチャーてんこ盛り。
ファーストコンタクトものは、SFの中でもそれほど好きな分野ではありません。何冊か読んだ気がしますが印象が薄いのは、おそらく題材からして本来一冊の文庫本に収まる量ではあり得ないという先入観を抱きながら読んでいるからでしょう。異文化、それもまったく違う生態の知性体同士のファーストコンタクトは気が遠くなるほどの手探りになるはずです。
この作品では知性体がいる「はずだ」という仮説、この音を使ってコミュニケートしている「はずだ」という仮説いずれもが強力ではないにもかかわらず、人類滅亡までのタイムリミットがすぐ其処に来ているという厳しい設定でした。中巻までの進行を考えれば残り時間の短さは避けられませんし、短い故の緊迫感です。が、それだけにファーストコンタクトに関してはご都合主義の点が多かったのは否めません。
一方で、パニック・アドベンチャー面はすばらしい出来です。グリーンランド沖に浮かぶ強襲揚陸艦で繰り広げられる数々のシーンはそのままハリウッド映画を思わせるようなスピード感あふれる描写でした。
さて、3巻あわせて1500ページを超える本書は、幾分の疵はあるもののすばらしい作品だと自信を持って言えます。とくに、全体を通して主要な役割を与えられている数人の人物が、個性的なだけでなく自分のあり方に強いこだわりを持っているっことは特筆すべき点です。
自然豊かな湖畔の別荘で上質のワインを愛でることに自分の人生の本質があると考えるヨハンソン、少数民族としての生き方を自分で肯定することが出来ないアナワク、少数民族ではないのに、少数民族的な生き方に逃避するグレイウォルフ、世界の盟主としてのアメリカの中で頂点を極めること以外に価値を見いだせないリー。
彼ら、彼女らの自分自身観については、過剰と思われるほどのページが割かれています。それは本書を読んでいる間、「これほどの記述が必要なのか」と疑問を何度も抱くほどです。しかしながら、読み終わってみるとそのこだわりこそがこの本に不可欠なものだとはっきり言えます。
ファースト・コンタクトとはコミュニケーションの問題だけではなく、他の知性体の存在という文脈のなかで「我々」とは何かを自問することです。本書では同じ惑星内に自分たちより高度な知性体を発見することで、結果的に人類は自信喪失の時代に迷い込むことになります。それは唯一無二でなくなったことからくる自信喪失であり、「我々」とは何か、「我々の意味」とは何かを見失うことです。
「我々」を問う小説を書くならば、その登場人物は必然的に「私とは何か」に強いこだわりを持つ人物であるべきです。漫然と「私」を生きている人物に「我々」を語らせても何の説得力もありません。他者との関わりに関して常に自分のスタイルを通そうとするヨハンソンとアナワクはこの小説の中で強烈な光を放っており、それがエピローグの効果を強くしているように思えます。
最後に、非常に面白かった本書ですが、全体を通して白人文化至上主義的な記述が目立ちました。それらはもっぱら「悪の国家」アメリカの所業として書かれることが多いのですが、所々に、ほかならぬ著者の視点であることがにじみ出ています。

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