希望就職先:水耕菜園

monaさんによる、「日本は超できる人向けの環境が無いでしょ」というエントリー。

でも,後半は…まず西垣さんには,ジョエルの傑作コラム「開発抽象化レイヤ」をすり切れる程読んで頂かないと.

monamour555さんは、本来なら私なんぞはコメントできる立場じゃない、自分の腕で世間の荒波を泳いでいる方です*1。だからこのエントリで展開される批判にしても、ご自分の分厚い経験が土台となってますし、私にはなかなか口を出しにくい分野でもあります。がしかし、そのリンク先の「傑作コラム」には、やや違和感を感じました*2

マネジメントはどんな会社も避けることができないことに対処するためにある。プログラマがそういったことを気にかけなければいけないのだとしたら、マネジメントは失敗しているのだ。100フィートのヨットのオーナーの億万長者が、エンジンを組立てるためにエンジンルームへと降りていかなければならないのと同じくらいに。

ジョエル氏のコラムの要点は「管理職はプログラムを使役するのではなく、最大の効率が出せるよう気を使ってやるべき」ということです。それはそう、至極ごもっともです。この手の意見は日本のBlogでもうんざりするほどよく見ます。
が、一歩引いてみれば、命令することと、環境の整備って直行してるんですよね。相反しない。実際、そうでしょ。野球の監督って選手を駒のように使いますが、チームの健康管理やトレーニング状況にも責任を持っています。あたりまえのことです。
当たり前の事だけに、これだけ強調されると不気味なんですよね。多分私の読み方がゆがんでいると思いますが、ジョエル氏のコラムを読んで頭に浮かんだのは、嘘偽り無くH.R.ギーガーバイオメカニクスです。
バイオメカニクスとは、とても当たり障りの無い表現をするならば、人機一体。映画「エイリアン」で異星の宇宙船に出てきた、航法装置(?)と一体になっていたミイラ。ギーガーの作品集に出てくる、機械に塗りこめられた子供たち。
ギーガーが古いというのなら、映画「マトリックス」に出てきたコンピューターに接続されている人間といえばわかるでしょうか。培養装置の中で生産だけを目的として飼われている人間。プログラムを産み続けるブロイラー。歯車と何が違うんでしょうか。
いや、私の感覚がおかしいってことは重々承知です。つーか、日本の電子産業だって、ITに負けず劣らず狂ってますから。携帯電話の開発で働く方々なんて、見てるこっちがノイローゼになりそうです。だから、職場の環境を整えろという声はわかるんです。こき使うばかりではなく生産性が上がるよう、職場を改善しろと。でも、ジョエル氏のコラムは妙に前時代の特撮映画的なものを感じさせるんですよね。プラスチックの壁、白い間接光。青白いディスプレイの光に照らし出される顔。
もうひとつジョエル氏の文書で鼻につくのは、日本でも良く目にするプログラマ至上主義です。「プログラマ最高、プログラマである、俺様最高」という、離れてみていると噴出しそうな幻想です。もっとも、私がこういう立場に過敏に反応するのは、自分がプログラマであったころ、まさにそう考えていたという忘れたい痛々しい過去があるからですが。
自分の痛い話はおいておくにしても、なんかこう、みんな適度って言葉忘れて無いか?と思ったりします。ふと、頭に思い浮かぶのはジョエル違いのビリー・ジョエル「ニューヨークの想い」。
「もちつもたれつとか、新聞に載っているような雑多な事が今の僕には必要なんだ。そんな中でこそ、現実感を取り戻せるから。」という歌中の主人公は、この当時のビリー・ジョエルの歌によく出てくる「西海岸に背を向け、ニューヨークに戻ってくる男」です。
まとまらないなぁ。人間嫌いの私が言うのも変ですが、海のこちらも向こうも世間からの引きこもり志向が強いんですかね。

ネクロノミコン 1 (パン・エキゾチカ)

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*1:私はいつも会社員なもので

*2:monaさんのことだから「傑作」という言葉にも幾分の毒を感じないこともないが

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