批評とか、書評とか、感想とか

id:suikan:20070105で書いたエントリーに対して数件のコメントをいただきました。コメント欄から返してもいいのですが、長文はエントリーにすべきと考えますのでこちらで。
whitejazzさんだけあげつらうようで申し訳ありません。そういう意図は無いです。

とりあえず、多くの方々が書き込んだり、発言している(例えばここのコメント欄の方々)内容ですけれども、単なる脊髄反射を「批評」と勘違いした人が多くなった、ということでしょう。

批評に関してはそうなのでしょうけど、たいていの人はそもそも自分の文章を批評と考えて書いていないですよ、きっと。

批評
芸術としてのあり方を問う。
書評
多くの人にその本がどのようであるかを紹介する。
感想
自分がどう感じたかを表現する。

批評がそれ自身芸術と対等である以上、「お前の人生かけて書けよ」といわれても仕方は無いだろうと思います。が、少なくとも感想にそれを問われるいわれは無いですね。お金をもらって書評を書いている人が、批評を書いている人並みに厳しい要求をされることはあるかもしれません。しかし、お金をもらっていない書評ならそんな厳しいことを言われる筋合いは無いと考えます。
この辺は誰に聞いてもそれほど異論は無いんじゃないかと思います。
で、今回の件に限って言えば私が感じた違和感は批評論とは別のところにあります。そもそも発端のエントリは批評論とは別の次元です。どのようなものであれ、批判的なものは迷惑だと切り捨てているのですから。編集の現場で「作家が批判的な感想、書評、批評に過敏に反応して困る」なんてことは掃いて捨てるほどあるだろうと想像はできます。しかし、それを客に向かって「迷惑」と言ってのけるあたりになんともいえない違和感を感じるわけです。
「味に頑固」と「接客がなっていない」の区別が付かない人々が踊りに踊った「頑固親父ブーム」を思い出す出来事でした。

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