コメット戦車

イギリスは第一次大戦中、世界初の戦車を開発しました。そのときの開発コードネーム"Tank"(水槽)が、その後戦車を指す言葉として一般化したというエピソードは、あまりにも有名です。
最初の戦車はこう着状態になった塹壕戦に対する突破口として開発されました。あくまで歩兵の随伴兵器であり、歩兵の盾となって進み、有刺鉄線を破り、(可能ならば)敵の塹壕を踏み越えて行くのが目的だったのです。
その後、世界的には「戦車って、対戦車能力も必要じゃない?」という声もあって、陸戦最強兵器として開発しようという動きも現れます。一方で、「いやいや、あんなドン亀、何が最強ですか。歩く早さより速いと歩兵が着いていけないよ」という歩兵随伴兵器論も根強く各国悩みに悩む中、第二次大戦が始まります。
第二次大戦では理論とヒットラーの趣味(!)でひたすら機構化を押したドイツ、および共産党指導の下、労働者の汗と涙(?)で戦車を生産したソ連の両陸軍戦車が覇を争い、ほかの国は呆然とそれを見守ることになります。特にドイツの有名なティーガー戦車は現れる先々で英米の戦車の装甲を遠距離からダンボールのように易々と撃ち抜いていきました。その上、火力で劣る連合軍戦車ではティーガーの装甲を撃ち抜くためには至近距離まで近づく必要がありました。
悪夢のようなティーガーをつぶすには物量しか頼るものはなく、アメリカは湯水のように戦車を生産して欧州に送り込みます。イギリスも背に腹は変えられず、米国製シャーマン戦車を使いますが。が、何せ装甲が薄いので基本的にキャタピラ付きの棺おけです。ティーガーが現れたら数両で取り囲み、至近距離まで一気につめて四方から撃ちまくるしかありませんでした。当然ですが、ティーガーが倒れるまで数両の味方戦車はつぶされます。はじめから誰かが死ぬに決まっている攻撃です。日本の特攻隊が作戦として信じられない愚挙であることは言うまでもありませんが、どこでも同じ様なことはやっていたということです。
さて、そんなことはいつまでも続けられませんので、イギリスも急ぎ厚い装甲と強力な火力を持った戦車を開発していました。コメット戦車もそのひとつです。

写真はDuxford 戦争博物館に展示してあったものです。
コメットはドイツ軍主力のパンターとスペック上で互角の力を持ち、ティーガーに遭遇しても逃げなくて済みそうな力を持っていたと思われます。大戦末期に投入され、実線も経験しています。ただ、実線投入は45年3月で、ドイツ陸軍も崩壊しつつありましたのでときすでに遅し。ほとんど活躍しませんでした。生産数も結局1000両に満たないまま終わっています。
同時期に開発されたセンチュリオンにいたっては、ほとんどどころかまったく第二次大戦に間に合いませんでしたが、その後朝鮮戦争で大活躍し、「最高の戦車」と絶賛されました。えらい違いです。

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