何度でも紹介する

先週金曜日は古い友人となじみの店で一杯。遅れてきた彼は「面白い本がある」と文庫本を取り出しました。

フェルマーの最終定理 (新潮文庫)

フェルマーの最終定理 (新潮文庫)

読みました(^^;。このブログでも紹介済みです。「もう読み終わった?」と聞くと、「今2周目」。わはは。違いのわかる奴です。
この本、とてもとてもよく出来ています。導入部はフェルマーの最終定理の証明に傷が見つかって苦境に立たされている、ワイルズとの会話。そして、時間をさかのぼって数学の発祥のころへ。
素人にとっては、○○より○○史のほうが楽しいものです。数学史も例外ではありません。筆者は要所要所でエピソードを交えながら数学史、そしてフェルマーが気まぐれに残した定理について紹介します。
その定理が何を言っているかは、中学生でもわかります。しかし、その定理は数学者の挑戦を300年間はねのけてきました。筆者は初期に行われた証明アプローチを一つ一つ紹介し、じりじりと数学者たちが前進する様子を丁寧に書き出します。途中現れる悲しい性差別なども交えて、フェルマーの定理に対するおおよそ250年の挑戦のドラマが描かれたところで、数学は失速してしまいます。わかっていたこととはいえ、ひとつずつ証明して無限個の数全部に対して証明を完了することはできないのです。
ここで舞台が反転します。話はさかのぼって、時代と場所は敗戦のダメージから立ち直りつつある日本。若い数学者谷山と志村は、後に谷山・志村予想と呼ばれることになるひとつの数学的予想をシンポジウムで発表します。当初注目されなかったこの予想は、やがてゆっくりと数学の世界に広がり、多くの「谷山・志村予想が正しければ」という証明がなされていきます。
谷山・志村予想の発表から20年ほど経過したころ、数学の世界にはこの予想に依拠する証明が沢山現れていました。そして、そのニュースは突然もたらされます。「谷山・志村予想が正しければ、フェルマーの定理も正しい」
もともと、題材がドラマチックである上に、筆者であるシンの筆力が高等数学に詳しくない読者をぐいぐいと引き込みます。フェルマーの定理本は星の数ほどあるのですが、この本が特別視されるのは、その筆者の筆力ゆえでしょう。解読までのストーリーを劇的に表現するだけでなく、「背理法」や「数学的帰納法」といった後にフェルマーの定理へのアプローチで要となる基本的な考え方をそれとなく数学史の説明で取り上げているのも見事です。
以前にも書いたとおり、この本には「えっ」「あっ」という驚きが何度も現れます。それは数学上の驚きでありながら、よく出来た小説が与える心地よい驚きでもあります。
とある本のAmazonの書評にこんな一節がありました。「サイモン・シンの『フェルマーの最終定理』と比べると酷だが」。数学の一般向け解説本として、輝かしい水準を打ち立てたといえる本です。

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