重石としての企業

田中耕一さんがノーベル賞を受賞したときに軽くショックを受けたのは、彼がまだ係長だったということです。ノーベル賞を受けるほど海外から評価されている人にはあまりにも低すぎる地位です。
実際には彼が実務に留まりたかったがために昇進を拒んだ結果が係長だったわけですが、それならそれでなぜ別の昇進パスを与えられなかったのかと言う疑問が湧きます。
会社型組織の大きな特徴として「エラクなると人事権がついてくる」という点が上げられます。そしてよく見るとこれには少し歪があって、がちがちの日本企業においては「人事権を持つものがエライのだ」という会社内の権力構造を維持するのが平、主任、係長、課長、部長という構造の本当の目的だとわかります。
人事権とは部下の査定を行い、能力に応じて報酬と仕事を当てる権利のことですが、ありていに言えば生殺与奪の権です。人事権を持っていれば、自分の力に応じた数の部下を縦に並べたり、横に並べたりと自由に扱えるわけで、権力志向の強い人にとってはこれ以上ないほどに甘美な力です。
さて、研究者や技術者といった職業者には、権力志向の弱い人がたくさんいます。弱いだけではなく、一部の人にとっては人事権は邪魔なものでしかありません。なぜなら人事権を振るうには部下の能力を見極め、自分が関心のない仕事まで把握し、今年の部署を振り返って来年の計画を立て、レポートを読み、レポートを書き、会議に出席しという、自分の職能と無関係のことに時間を割かなければならないからです。権力の階段を上りたい人にってはこれこそがまさにやりがいのある仕事なわけですが、本来の職能の中での自分にしか感心のない人にとっては、純粋な無駄時間です*1
会社側としては、そうは言っても組織のとりまとめが必要なわけで、技術者や研究者を取りまとめるには、技術者や研究者を昇進させろということになります。しかし業績を上げる事ができ、熱心な研究者、技術者ほど人事にかかわるのを嫌がります。
研究に没頭する唯一の方法が「昇進しない」ことに日本企業の底の浅さを見てしまうというと言いすぎでしょうか。人事権を与えずに技術・研究面での昇進パスを用意すれば済むことなのですが、技術企業の中でさえ研究の道を貫くなら仙人にならなければならないのがこの国ですよ。
日本企業はとことん、特殊な能力を持った人を嫌う傾向にあります*2。その運営は「普通の人」を主眼においており、それ以外の人は靴べらで押し込まれるようにその普通の人向けシステムに押し込まれます。田中さんがメディアの取材攻勢にあったとき、島津製作所がそれを押さえるどころか単なる芸能人のマネージャーに徹し、メディア向けのブリーフィングまで行っていたのは記憶に新しい出来事です。日本企業がずば抜けた人を扱うすべを知らないという事がよくわかる話です*3
企業とは重石なのかもしれません。うまみを出すために漬物を押さえつけ、外に出ることを許さない。すべての漬物は均一であって、それ以外などあるはずもない。それが日本企業なのか。
などということを、接着剤が固まるまで部品を指で押さえながら考えました。

*1:断っておくと、研究、開発に限らず、こういう思考をする人はいる。営業という仕事が好きだからずっと現場で営業をしたいという人は多い。

*2:もちろんこれは大げさに言い過ぎてます。すばらしい能力を持った人が生き生きと働いている会社も幾つもあります。

*3:いや、司馬ファンにとっては、この話の面白みは会社が「島津」であることかもしれない

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