信者との対話

kikulogに「水からの伝言」を信じている人との対話の一部が掲載されています疑似科学信者との対話がいかに難しいか、これをみればわかります。きくちさんは筆力のある方で、やさしく、丹念に説明をされていますのでどこを読んでも平易です。この日のlogだけでも大変価値の高いものだといえます。関心がない方もだまされたと思って是非読んでみてください*1
さて、私が関心を持ったのはこの部分です。

道徳の授業に使った先生がたは、"水に道徳を教わること"をどう考えておられるのか、何人かのかたにメールしたことがあります。事実ではないことには納得いただけて、「たしかに間違いでした」とはおっしゃってくれるものの、なぜ信じてしまったのかについては、なかなか本心を語っていただけません。

日本人は間違いを恥だと考えますから、それについて話したがらない点は不思議ではありません。しかし、なぜ信じたのか、は問題の深い闇を照らす問いですので、やはり知りたいところです。
いまや公立小中高校の先生は、すべて戦後教育の枠組みで大学あるいは短大までの教育を受けているはずです。その方たちがかくも簡単に科学の枠組みから足を踏み外すというのは、今後の理科教育の方向を論じるうえでの重要なことなのです。
かつて父親が昔を懐かしんで買ってきた尋常小学校の教科書*2には、あるおばあさんが眼の病気を患った話が掲載されていました。「眼がよくなる湧き水」の話を聞いて通ったのですが結局病はよくならず、失明しました。「迷信を信じたばっかりにこんなことになったのです」というのですから、道徳教育の題材だったのでしょう。それが今、道徳教育の現場では、オカルトの本が猛威を振るっているのですから恐ろしい話です。

*1:偶然ですが、妙な表現になってしまいました

*2:再版

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