一般人と科学

id:KEN_NAITOさんが研究の醍醐味?の最後に、こういったことをおっしゃっています。

イッパンピーポーにどないせぇっちゅうねん.あえてそんなコムズカシイ,マドロッコシイ道を歩むのは,ホントにソレが好きな人間ダケでイイんだヨ.

んー、そうは思いません。軽い気持ちで書いた文章だと思うのであまり突っかかるような形になるのはいやなのですが、思うところを簡単に記しておきます。
結論から言えば、私は市民と科学の乖離をとても嫌っています。それは市民から離れて行く科学と、科学から離れて行く市民の二つに対する嫌悪です。
科学や技術の進歩によって先端世界が遠く日常生活から離れてしまったのは事実です。しかしながらそれは科学者や技術者が広く世間に対して説明をする必要がなくなったということではありません。むしろ私は科学者技術者には自分がやっていることに対する説明義務があると思っています。
重い意味での説明義務については、たとえば原子力がもたらす未来像などをすぐ思い浮かべるかもしれません。しかし、それほど深刻なものでなくても、市民が科学に目を向けたときに間口となるものは用意されているべきです。「これは難しいから黙って任せてりゃいいんだよ」という考え方は常に間違った方向へと社会を導きます。
それとは別にして「てめぇ、まだ面白いもの隠してるだろ。見せな」という気持ちが私にあるのも事実です。学生の理解に何の興味もなく黒板のほうだけ睨んで一心にチョークを走らせていた先生に対する嫌悪感が尾を引いているのかもしれません。
一方で、科学に無関心な市民のほうも罪は重いです。別に一億総科学者になれとも一家に一冊日経サイエンスとも言いません。しかし、科学よりもオカルトや馬鹿番組を容易に信じ、真摯な考察を軽視する態度は民主主義国家では罪悪です。
ちょっと前に話題になった小学生の宇宙観について、要約がhttp://centaurs.mtk.nao.ac.jp/~agata/research1/index.htmlにあります。これは「天動説」ばかりが扇動的に取り上げられましたが、元になった報告は「子供の時には理科に興味があるのに大人になるとまったく関心がなくなる」というより深刻な問題を明らかにしています。
こういう点を憂慮しているので、あえて軽く書いたid:KEN_NAITOさんに「ホントにソレが好きな人間ダケじゃだめなんだよ」と返すことしにしました。

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