[本]博士の愛した数式

期待を裏切られる本ならいくらでもある。
悪い意味で期待を裏切られる本はそれこそ星の数ほどあるが、よい意味で期待を裏切られる本もたくさんあってそれが本屋通いをやめにくい理由だったりする。一方、たいてい裏切られる期待は「質」だ。もちろん、まれにではあるが内容がまったく意図していなかったものだった、などということもあるにはある。たとえば私は素人向けの科学解説本をよく買うが、たまに研究者でもある作者のファンタジックな夢が混じっていたりする。こういうときは本当に落胆する。
当然、期待した内容と異なっていて、かつ期待したよりずっとすばらしい本と巡り会うこともあるはずだ。だがそういうことは非常に希有な体験ではないだろうか。少なくとも私にはそういう体験はなかった。「なかった」と過去形で書くのは今日から事情が変わったからだ。「博士の愛した数式」は期待した数学入門ではなく、そして期待してなかったほど上質な小説だった。
見知らぬ本を手にとったら、裏表紙の要約なりあとがきなりを読むのがその本を知る一番簡単な方法だ。だがこの本の裏表紙には要約がなく、開いたところであとがきも、解説も、目次もない。代わりに巻末には数学と阪神タイガースに関するささやかな参考文献が掲載されている。
物語は主人公である「私」の視点で始まる。

彼のことを、私と息子は博士と呼んだ。そして博士は息子を、ルートと呼んだ。

主人公は小学生の息子と二人暮らしで、派遣の家政婦をしている。その派遣先にいた初老の「彼」は元数学者で、十数年前の交通事故の後遺症のために80分より以前のことを覚えていられない。人知れず、懸命にその病気にあらがいつつも、彼が思い出すことができるのは80分前までのことと、事故にあった1975年より前のことでしかない。それでも彼は他人、特に子供に対する深い愛情を持ち続けている。やがて親子は数を絆として彼と深い親交を結ぶようになる。
この本の面白さを伝えることは難しい。おそらく、面白いと書いた時点でもう失敗している。親子と博士の親交は、博士の数学の世界を中心にならざるを得ない。数学以外何も手元に残っていない博士は、ことあるごとに数の話をする。それはいつも何気ない数から始まって、ときには目もくらむような壮大な話に、別の時には息を呑むほど繊細な世界につむぎあげられていく。
その都度、「私」は驚嘆する。そして「私」が数と数学の世界に驚くたびに、話は細やかで静かなものになっていく。これが、本書が科学解説ではなく純粋小説であるゆえんだろう。科学解説好きの私にとって、この本は実に新鮮だった。科学解説はひとつの事実の周囲に驚異の物語を構築する。優れた科学解説は例外なく興奮に満ち溢れている。だが、「博士の愛した数式」では数学は常に繊細で美しいレース編みだとたとえられる。そして「私」は数学の美しさは静かさに似ていると考える。
主人公に与えられた新しい世界は、宗教的なものですらある。

空腹を抱え、事務所の床を磨きながら、ルートの心配ばかりしている私には、博士が言うところの永遠に正しい真実の存在が必要だった。厳かに暗闇を貫く、幅も面積もない、無限にのびて行く一本の真実の直線。その直線こそが、私に微かな安らぎをもたらした。

博士によって新しい世界を教えられた「私」は日常の小さなことから数を取り上げてそれと向き合うようになる。
変わり映えしない日常が、それまで気づかなかった小さな喜びにあふれていると気づく点でこの小説恋愛小説と言っていいかもしれない。それはしかし祝福された恋人同士の甘い恋愛ではなく、湖の底のように静かな大人の恋愛だ。普段は書斎で研究をしている博士が、珍しく「私」が料理する姿を眺めるシーンがある。

「どこが面白いんでしょう。ただの、料理ですよ」
「君が料理を作っている姿が好きなんだ。」
博士は言った。
私はボウルに卵を割り入れ、菜箸でかき混ぜた。好きだ、という言葉が耳の奥でこだましていた。そのこだまを鎮めるように、できるだけ頭を空っぽにして卵に集中しようとした。調味料が溶けても、だまがなくなってもまだ、箸を動かし続けた。

80分の記憶しかない博士は、毎朝訪れる彼女が誰かを訪ねる。毎日が初対面の彼女に対してたいてい靴のサイズや生年月日から話を始める。ある日突然恋が始まるなどということはありえない。それでも、博士が見せてくれる静かで美しい世界のなかで、彼女は博士の言葉を冷静に受け止められずにあわてる。
この本の紹介を「数学の嫌いな人にも読んでほしい」というありきたりなことばで締めくくりたくない。たしかに数論の魅力の一部をわかりやすく知らせてくれる本だ。数学嫌いの私が言うのだから間違いない。だが、この本はそれ以上に上質の純文学であり、だからこそすべての人に読んでほしい。
登場人物にはすべて名前がない。主人公にも、息子にも、博士にも、博士の義姉にも、売り子にも、斉しく名前がない。ただ、数学者とタイガースの選手だけがまるで物語の登場人物であるかのように名前で呼ばれる。そういったことや、博士のノートに現れる人物がNであることなどに数学的な暗喩を探してまわることもできるだろう。だがそれは意味のないことのように思える。「博士の愛した数式」は、優しさを両の掌の中で静かに昇華させる物語なのだ。
博士の愛した数式

/* -----codeの行番号----- */