である/ですますで悩む

悩む必要もありません。私は高い教育を受けた腰の低い紳士ですから「ですます」で書くのが当たり前です。ドーダ*1。しかし「ですます」文体は思索的なことを書くときには非常に困難を感じます。それは「ですます」の欠点ではなく丁寧語の本質からくる困難さです。
「である」調文体はもともとエラソーな匂いがぷんぷんするため、少々失礼でもかまわないという気楽さがあります。何かに関する思索を書くとき、そこには主体である自分と客体である観測対象しかありません。読者が抜けているのです。「である」調で書くときには読者をほっぽりだしてがんがん書き進んでも気にならないのですが、これが「ですます」になった瞬間に読み手を意識してしまいます。丁寧語とは相手あってのものです。丁寧語で相手を無視することなどできません。少なくとも私にはできません*2
日記というものは自分が読み手のはずですが、これは公開日記という倒錯したコンテンツですので読み手を意識せずにはいられません。しかし、たまにはない頭をあるように見せかけるためにも思索的なことを書きたいのです!
そうだ、日替わりで「である/ですます」を書き分けましょうか。

*1:参考: 通訳者銭衝の日記 丹梅視点

*2:そういえば丁寧語による独り言は聞いたことがない

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