大槻ケンヂの歌う逃避

大槻ケンヂと絶望少女達の「林檎もぎれビーム!」を購入。これで「さよなら絶望先生」の主題歌は全部買ってますわ。我ながらハイテンション。

空想ルンバ

空想ルンバ

絶望先生のアニメもこれで第三期ですが、相変わらずというか、オープニングとエンディングのアニメーションには本編より力が入っており、出来の良さにはあきれるばかりです*1

救いのない現実

ま、それは置いておいて、3枚目の「林檎、もぎれ、ビーム!」を聞いて、あらためて大槻ケンヂが現実からの逃避にこだわっている印象を強くしました。相変わらずふざけた歌詞ですが、じっくり聞くと冗談で済まされない歌詞になっていることに舌を巻きます。
第一期放送の「さよなら絶望先生」の主題歌「人として軸がぶれている」は、タイトルを聞いたときこそ、そのふざけた言葉のセンスに感心しながら苦笑したものです。が、放送を見る度に歌詞を聴いていくうち、笑えなくなってきました*2
何しろ遠慮がありません。歌詞の中の主人公は、おそらくは正社員になれずバイトの毎日。人生の成功とはほど遠く、面白いことも特になく、本来幻想を与えてくれるグラビアのアイドルからさえ眼中に入れてもらえない男です。その彼がふと思いついたことが背筋の凍るような勘違いです。

わかったぜ、報われぬそのわけ
人として、俺、軸がぶれてんだ

こんな、世界で誰ひとり騙せないような、それどころか本人すら騙せないような言い訳にすがって、

震えてるのわかんねぇようにしてやれ

と、ぶれまくる事しか出来ない「僕ら」。深夜のギャグアニメの主題歌にこんな歌詞を持ってきてどうするんだというほど、救いのない歌詞です。
第二期放送の「俗・さよなら絶望先生」の主題歌「妄想ルンバ」は、『今回も大槻だから相当えぐい曲だろう』と思ってたら、予想通りでした。
歌われているのは、さまようように、ふらつくように生きていくしかない中で、不当に付けられた自分の価値に覚える怒りです。

俺の値段を誰が決めた?
星や花が、僕らの心にも
輝いていることを知らないから奴ら
安い値をつけやがって、たかをくくったな

歌の中では『奴ら』が知らない自分の中の獣を解き放って、連中が逃げ惑う姿を笑うのですが、そんな妄想が現実になる日が来るのか、自分にも確信がありません。というよりも、自分が信じていない。
第三期放送の「懺・さよなら絶望先生」の主題歌「林檎もぎれビーム!」は、もはやタイトルからは何が何だかさっぱり想像出来ません。
インタビュー記事を読むと「林檎もぎれビーム!」は実在するUFO研究団体宇宙友好協会が終末論に傾いたときに作った、「林檎送れ、C」という脱出のための暗号からのもじりです。
「声優と声優ファンの間の共同幻想」という、大槻ケンヂのインタビュー内容は話半分に聞く*3として、この曲では現実から逃避しろとはっきり言っています。
そして、自分に歌いかけて来る相手が仕事でやっているだけだとしても、神とも思える相手がマニュアルで嵌めてるだけだとしても、あえて騙され共に合い言葉を言って変われといいます。

変われ、飛べよ、飛ぶのさ
「変わったあなたを誰に見せたい?」
あからさまに見くびった奴、あいつ等にだ!

大槻は自分を騙そうとしている相手に騙されてでも、逃げる価値はあると歌います。なぜなら今は腐っているから。
三曲に共通するのは、いったい何が悪くてそうなったのかわからない、閉塞しきって出口のない毎日です。それはぞっとするほど今の世相をえぐっていますが、大槻ケンヂがやっていた筋肉少女帯のベストアルバムを聴いてみると、同様の曲はずっと前から歌っているようです。要するに、出口なき人生というのは彼の歌の世界観そのもので、世間がそれに追いついたというか、彼の歌の所までずるずると堕ちてきたのでしょう。
一曲目で自分をごまかそうとしてもそれは出来ないと歌い、二曲目で妄想に引きこもっても現実は妄想通りにならないと歌った大槻は、三曲目はついに合図を待って現実から逃げ出せとまで言っています*4
なんだろう、これ。

救済力が変わっていく『君』

もう一つ、三曲に共通しているのは『君』と呼ばれる女性です。その役割は曲ごとに違いますが、注目するのはだんだん『君』による救済の効力が落ちていること。
一曲目の「人として軸がぶれている」では、

もう、ぶれぶれ人間でもきっと
君に会えば変わる?

と、まだ出会っていない(横に居るのに気づいていない)君と会えれば、こんな自分も変われるのかもしれないと呟きます。
しかし、二曲目の「妄想ルンバ」では

踊ろよ僕たちは、ルンバ
微笑み軽やかに、君と
その日は来るのか、わからなくて

救済力が消えています。妄想が現実となったときに、二人でそれを祝福したいということだけが歌われ、現実の『今』では君の価値さえわからないと力なく言います。
そして、三曲目の「林檎もぎれビーム」。
この曲ではとうとう『君』は現実から一緒に逃げていく相手になります。現状を『君』に変えて貰うことは出来ません。ただ、逃げていった先が絶望すれすれであっても、君と一緒ならそれが救いになると歌います。

そうだ行こうぜ。絶望のわずかな、こっち側へ
きっとシャングリラだよ君となら

これは歌われている『君』が弱くなっているのかもしれませんが、そうではなく歌われている『今、ここ』の救いのなさが深まっているのかもしれません。

だから何?

だからなんだと、言われると言葉に詰まります。
大槻ケンヂのアニメ主題歌三枚並べて聞いて私の人生が大転換するわけでもないですから。ただ、先にも書いたように、彼の曲は今の日本の出口のない閉塞感に、嫌になるほどぴったりはまっています。薄気味悪さを引きずったカタルシスを感じさせます。
おすすめ。

蛇足

絶望エンドカードが沙村だった俺は、どこへ行ってもきっとシャングリラ。

*1:本編に関しては、皮肉の「間」の扱いがぞんざいな点が以前から不満だったが、今週放送分は少し丁寧になっていて嬉しかった

*2:ちなみにこの番組は日曜の昼時に録画を見ているが、我が家には珍しく各期ともオープニングとエンディングを飛ばさずに見ている

*3:インタビューでは大槻は三曲ともアニメとアニメファンのフレームの中の話として語っている。

*4:アニメのオープニングでは、「林檎・送れ・C」の合図でを受けて宇宙へ脱出するが、それも失敗し、「君と二人で」「絶望のわずかなこちら側」へと逃げる様子が描かれている