科学とか、疑似科学とか

考えたことをまとめてメモ。

救済

「科学も宗教も同じ」
と斬って捨てる人とは話を打ち切っていい。救いようがないし、救う必要もない。我々ができるのはこの手の人による「汚染」が広がるのを防ぐことだけ

信用の形

「科学と信仰はどう違うんだ?」
と、と言う問いにはたぶん意味がある。どちらも信用に基づいているが、宗教の場合、突き詰めると「この本を信じなさい」「この人を信じなさい」ということになる。
科学の場合、突き詰めると仮説の立て方と実験方法と再現性にたどり着く。それらには科学の流儀があって、流儀に従って得た知識を積み上げて信用できる体系を築き上げていくのが科学的手法。
積み上げていく科学的手法の中に、非科学的なことを紛れ込ませてはいけない。信用の純度が下がるから。科学だと自称しない限り、非科学的であっても非難されるいわれはない。非難されるのは

  • 非科学を科学であると詐称した場合
  • 科学的であるほうがよいときに、非科学的なことを持ち込んだ場合

演繹と帰納

数学は少数の公理(公理系)から、証明を使って多くの定理を導き出していく。演繹的な世界(トップダウン)。証明過程が正しい限り、その公理系の中で導き出された定理は正しい。
自然科学は観測された多くの事実に当てはまるモデルを打ち立てる作業。帰納的な世界(ボトムアップ)。観測の数が多いほど、統計的な精度が上がっていく。精度を上げてモデルとのずれが認識されると、モデルの修正か未知の要素の探索が始まる。ただし、精度は上がるだけで完全になったかどうかは誰にも分からない。ものすごく確からしいといえるだけ。それは自然科学の欠点ではない。

モデルとしての数学

物理学は、モデル(仮説)として数学を使っている。ニュートン力学のすばらしいところは、数学をモデルとして採用して広範で説得力のある成功を収めたこと。
数学をモデルにする利点は、打ち立てたモデルから未知の現象を数学を使って予測できること。たとえば、ガウスは天体の軌道推定法を打ち立てた。ガウスの推定法(モデル)に観測結果3点(既知の事実)を入力すると、軌道を予測できる。この軌道は将来の天体の位置を予測するのでその位置を観測することでモデルが正しいか否かを知ることが出来る。
ニュートン力学に合わない例が19世紀後半から見つかり始めた。そのため、修正モデルとしての相対性理論が現れた。相対性理論は条件が極端なときにだけニュートン力学と大きな違いをみせる。多くの場合、ニュートン力学は事実とよく合う。
ただし、なぜ物理学のモデルとして数学がこれほどぴったり合うのかはわからない。

証明義務

ある命題が科学的か否かは、命題の支持者が科学的であることを示して見せて初めて判断可能になる。科学的な方法で示されていない命題を科学の側が否定する際に実験や計算を行う義務はない。単に「科学的な手法で検討されてない」と言えば済む。

宗教と科学

科学は科学的知識を積み重ねてこの世界を理解するための手法。宗教は心の救済とよい人生の指針。まったくの別物。どちらが偉いとかいう話に、飲み屋の外で耳を傾ける必要はない。飲み屋で聞いても面白くないが。
「科学者が祈るなんておかしい」
などと目にすると、思わず吹きそうになるし荒らしてやろうかとも思うが、落ち着け俺。