好きこそ物の上手なれ

「好きこそ物の上手なれ」ということばは、間を一段飛ばしていると思っています。人が何かを好きならば、そのために努力を継続することをいとわない。だから、その人はそのことが上手になる。そのことが好きじゃないなら歯を食いしばって耐えなければならないことにも、やすやすと労力と時間をつぎ込むことができるのが「好き」な人の強みです。わかいなら、そのことに人生をかけることだって平気です*1。むしろ胸が躍るでしょう。
結局、重要なのは努力とその継続なのです。最近は大声で否定したがる人もいますが、継続した努力なしに何かが開けるなんて、私はとても人に言い聞かせることはできません。

彼によると、伝説的なプログラマービル・ジョイのような人や、ビル・ゲイツや、ビートルズのようなバンドの成功も、「10000時間の努力」と、いくつかのタイミングが支配しているのだそうです。

10000時間という数字に根拠があるかどうか、判断しかねますが感覚的にはうなずけるものがあります。膨大な時間ですが、仕事以外の時間寝てもさめても一つ事にしがみついていれば、5年くらいで積み上げられる数字です。
私は人間に決定論を持ち込むのが嫌いなので、この記事の

面白いのは、彼の調査によると「練習をせずに天才的才能を発揮する」人も、「いくら練習をしても上達しない人」の両者も見られなかったのだというところです。

という記述には色眼鏡を向けてしまいます。それでも、這い上がるのには努力の継続が必要だという単純な命題は、さほど豊かでないとはいえ、私の経験と一致します。継続的に何かに努力し続けた人ってのは、30代後半とか40代くらいになると、違う雰囲気を持ちますから。

*1:人生をかけるってのは、決定的に重要な期間をそのことに費やすってこと

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