LHC、あるいは「十分に発達したウサギ小屋は、知的不毛と見分けがつかない」

CERN(欧州原子核研究機構*1 )のLHC(大型ハドロン衝突加速器)の本格稼動を迎えて、ブラックホールが地球を飲み込むのではないか、という風説が広まっているようです。ハテナ内でも

ハテナ外でも

と、あれこれ、あれこれ。私は(も)CERNの広報担当じゃありませんが、この手の話題は嫌いじゃないので、素人としてエントロピー増大に寄与しましょう。

まずはLHCとはなにか

LHC(大型ハドロン衝突加速器)は、ふたつの粒子を衝突させて何が起きるかを調べる大規模実験です。前世紀の頭から始まった量子物理学は、第二次大戦の前くらいに一応の完成を見ます。しかしながら、自然科学というのは、常に実験から打ち立てられた数学モデルでしかありません。そのモデルが正しいか否か、正確か否かは、実験の精度をあげたり、あるいはモデルが予言する未知の現象を調べることで検証を進めていくことになります。また、科学というものは、まだ森羅万象を予言できるほど細部まで煮詰まっていないので、モデルの精度も高めていかなければなりません。
故、湯川秀樹博士は「理論から考えると、これこれの粒子が存在するはずだ」と1935年に中間子を予言する論文を発表します。その後、1937年に同種の粒子が、47年には湯川粒子そのものが発見されます。これ以降、がぜん理論の予言に基づく新粒子研究が盛んになります。
もともと、放射線研究は放射性物質が発する放射線で行われました。中間子はこれらの放射線のエネルギーでは小さすぎて作ることができません。しかし、宇宙から飛来する高エネルギー放射線を観測しているときに、生成された中間子が観測されたのでした。実験室で使えるより高エネルギーの宇宙線を使うことで、より高いエネルギーでの現象まで観測できるようになったのでした。
宇宙線のエネルギー領域で起きる現象は、早い時期に研究し尽くされてしまいました。そこで、人類は加速器と呼ばれる装置をつくり、粒子を標的にぶつけ始めました。加速器の登場で多くの理論の正しさが証明されました。また、より精密に修正されました。そして修正された理論を確認するために、より大きなエネルギーでの実験が必要になりました。
高エネルギーの加速器と、理論は螺旋を描くように互いに進歩していったのです。あるいは軍拡競争なのかもしれません。
高エネルギーでの現象が見られるのは、宇宙開闢時のビック・バンでも同じです。したがって、大型加速器による高エネルギー実験は「我々の世界はどのようになっているのか」を調べるだけではなく、「我々の宇宙はいかにして誕生したのか」を探る理論/実験の一環です。
LHC(大型ハドロン衝突加速器)は、この分野での最先端をいく新型機器です。この手の実験施設は、もはや一国の手に余るほど巨大化しており、CERNは欧州の研究所であるにもかかわらず、LHCには日本の予算が投入されています。また、アメリカは巨大粒子加速器の単独開発をあきらめました。
日経サイエンス誌の5月号に、LHCに関する概要から詳細まで網羅したすばらしい一般向け解説記事があります。

LHCが作ると予測されているブラックホール

LHCはきわめて大きな運動エネルギーを粒子に与えて、それらを正面衝突させます。その結果、二つの粒子が急停止するため、運動エネルギーが何らかの形で放出されます。衝突によって何が起きるかは一言で言いにくいのですが

  • 粒子内部に高いエネルギーで閉じ込められている素粒子をたたき出す
  • エネルギーが粒子に変わる*2

などの、現象が起きます。さて、ブラックホールは非常に高い密度の質量だと考えられますが、LHCによる衝突は短時間(つまり狭い空間)に大量のエネルギー(=質量)を撒き散らしますので、極微のブラックホールが生成されると思われています。

ブラックホールが地球を飲み込む?

古典的なブラックホールのイメージは「なんでも飲み込む黒い穴」でした。つまり、近づいたら最後巨大な重力に引きずり込まれて、何もかもが飲み込まれる恐怖の逆ドラえもんぽけっとです。物を飲み込むことでブラックホールは重くなりますから、より重力が強くなります。こうして雪だるま式に大きくなるブラックホールがすべてを飲み込んだらこわいよね〜。

ホーキング放射

ブラックホールは「黒くない、光っている」と言い出したのはホーキング博士です。彼は、量子論によるとブラックホールから放射が起きると発表しました。これは現在理論的には認められています。ホーキング放射は、恒星から進化したようなブラックホールでは、問題にならないくらい小さいです。しかし、彼が指摘したように量子サイズのブラックホールの場合、ホーキング放射はブラックホールを蒸発させるほど大きくなります。放射はブラックホールが軽いほど強力になっていきます。
放射はエネルギーの放出であり、エネルギーは質量です。量子サイズのブラックホールは放射によってどんどん乾いていき、最後にはブラックホールでいられないほど軽くなると、閃光を発して消滅してしまいます。
LHCブラックホールが危険ではないというのは、これが根拠です(だと、思う)。つまり、あまりに小さいので検出器から飛び出す前に蒸発して消えてしまうというのです。ブラックホールに限らず、加速器の中では生成されて本のわずかの間に壊れてしまう粒子がたくさん生まれています。

科学は完全ではないが、未熟でもない。そして科学は未熟ではないが、完全でもない。

人類がブラックホールについて知り尽くしているわけではない、というのは事実です。今回の件に関して言えば、私はブラックホールという天体は、あまりにも魅力的で、天文学者の宣伝がうまく行き過ぎたなと思っています*3。みんなブラックホールの魔力のイメージが強すぎてガクブルなんですよ。でも、物理学者は「大丈夫、ブラックホールは貴方が思っているよりも、ずっと不思議だから。心配しなくて良いよ」と、言っているようです。

超小型ブラックホールが天体を飲み込む話

J.P.ホーガンの「未来からのホットライン」には、欧州が作ったレーザー爆縮型核融合発電装置が知らぬ間に大量のマイクロ・ブラックホールを生成してしまい、地球が食い尽くされるエピソードがあります。
星野之宣の「ムーン・ロスト」は、欧州がマイクロ・ブラックホールを使って地球に近接する小惑星を食わせる実験していたところ、誤って月が食われてしまうシーンから始まります。
ホーガンも星野もLHCも欧州。欧州始まったな。

科学って怖いよねー

アメリカが水爆を開発しているころ、水爆を使うと大気中の窒素が発火して地球が燃え尽きるのではないかと心配する科学者もいました。未知の高温の中で窒素がどう振舞うかわかっていなかったので。
「広い宇宙に人類しか見当たらない50の理由」には、宇宙が相転移を起こすと、破局的な変化が光の速度で広がるだろうという仮説が書いてあります。相転移とは、つまり、我々が住める状態から住めない状態にパタンと変化がおきるってこと。高エネルギー粒子衝突実験がその引き金になるとかならないとか書いてあったような気がしないでもないです。
1999年8月に、地球フライ・バイを予定していたカッシーニ宇宙船は、原子力電池を搭載していたため、多くの「心ある人々」からノストラダムスの恐怖の大王だと糾弾されました。カッシーニは地球を破滅させること無く土星に到達し、ミッションを坦々とこなしています。

捨てる技術、持っていられない悲しみ

ところで都市労働者ってのは、どれほど生活が安定していても、読んだ本を全部持っていられないものです。読んだら捨てなきゃいけません。蔵書としておいてとっておいて、後で見返すなんて夢のまた夢です。「あの本に書いてあったはず」ってのが限界。最近いろんなことに限界を感じています。私にはラッダイト運動に抗する力も知性もないみたい。

広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由―フェルミのパラドックス

広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由―フェルミのパラドックス

ホーキング、宇宙を語る―ビッグバンからブラックホールまで (ハヤカワ文庫NF)

ホーキング、宇宙を語る―ビッグバンからブラックホールまで (ハヤカワ文庫NF)

ムーン・ロスト (講談社漫画文庫)

ムーン・ロスト (講談社漫画文庫)

原子爆弾の誕生〈上〉

原子爆弾の誕生〈上〉

*1:名前どおりの研究のほか、WWWの開発でも知られる

*2:低エネルギーでも電子・陽電子対の生成が観測されたりする

*3:と書くと、ちょっとかわいそうかな。ブラックホールはマスコミとか映画、SFのネタにされててただけだし

/* -----codeの行番号----- */