我々は、水からの伝言を受け入れるべきだった

私はこれまで「水からの伝言」、いわゆる水伝に批判的でした。水が紙に書いたメッセージを読解できるなどと言うたわごとを受け入れるのは、これまで自分が歩いてきた道を真っ向から否定することだからです。水伝がもたらすのは思考の放棄です。ファンタジー世界にどっぷりと漬かりこんで、事の真偽を自分の頭で考えるという姿勢をまったく無価値にしてしまいます。
しかし、どうやら私が間違っていたようです。
これほど長い間にわたって、みんなが信じているのですから、水伝は正しいに決まっているのです。我々は考えを改めるべきだったのです。水が言葉を理解できると多くの人が信じているのなら、それは正しいのです。疑っている我々が間違っていたのです。今でも遅くはありません。水には善悪、良否を判断する力があります。我々は間違いを犯す自分の判断などさっさと捨て、水に判断をゆだねることで心の平安を取り戻すことができるのです。
水に判断をゆだねましょう。最初は恐ろしいかもしれません。しかし、きっと貴方も知ることになるでしょう。自分で判断をしなくて良い世界は、糖蜜のように甘く、春の日のように柔らかな優しさに溢れた世界です。
もう、我々は悩まなくていいのです。
たとえば冤罪問題。誰それは痴漢であるか、冤罪であるか、もはや裁判で長期間争う必要はありません。「xxは痴漢を犯した」と紙に書いて水を入れたコップに貼り、一晩冷やすだけです。真実なら綺麗な結晶ができるでしょう。あやまりなら汚い結晶ができるでしょう。水は知っています。綺麗な結晶ができたら、何の迷いも無く我々は彼を監獄にぶち込めばいいのです。
これは、犯罪捜査にも使えます。「xxはyy事件の犯人である」こう書いた紙を関係者全員分作ってコップに貼り付ければ良いのです。翌日には真犯人が分かります。もう、何千人もの捜査員を投入することはありません。水は知っているのですから。我々は何も考えず、水にその判断をゆだねて真犯人を処罰すればいいのです。容疑者の声をいちいち聴く必要もありません。
選挙で候補者選びに苦心する必要もありません。候補者の名前を書いた紙をコップに貼り付けましょう。心清らかな候補者であれば、綺麗な結晶になります。もう、その候補者の過去の行状とか、思想とか、将来へのビジョンとか、特定の政策への姿勢について我々が考える必要は無いのです。
いっそ成人の日に全員の名前を水に読ませてはどうでしょうか。水は労せずして羊の中の山羊を見つけ出すことができます。心悪しき人に選挙権など与えることはありません。いや、いっそその場で刑に処してしまえば、その悪人が将来起こす犯罪から被害者を救うことができます。
イラクへの自衛隊派遣が正しかったかどうか?水に聞けばいいのです。
これを桃源郷といわずにして何と呼びましょう。これから私達は何も考えず、ただ水に言われるがまま暮らしていけばいいのです。水は我々がどうすれば安寧に生きていけるか、すべてを教えてくれます。