品種改良

かれこれ10年前の北海道旅行でした。残すところ二日という朝に中標津のキャンプ場を発ち、長万部への長駆へと出たわけですが、あいにく折からの雨。がたがたと震えながら徐々に変化して行く松山千春の頭髪*1を横目に見み、十勝平野に出たのはようやく昼ごろです。
そのドライブ・イン「十勝野」は、濡れ鼠になったライダーに救いの手を差し伸べるかのように平原にポツンとたっていました。飾らない店内で定食を注文し、待ち時間にメニューの裏にある手書きの牧場便りを読みます。牧場主が経営しているこの店で働くお嬢さんが書いているのでしょう、子牛が乳牛になる話が簡潔に語られていました。その中にあった一文は、今でも鮮烈に頭に残っています。
「オスの子牛は半年ほどでお肉に…」

私の牛がハンバーガーになるまで―牛肉と食文化をめぐる、ある真実の物語

私の牛がハンバーガーになるまで―牛肉と食文化をめぐる、ある真実の物語

筆者は子供のころ、家族で出かけたドライブで牛を見かけます。
「あの牛はお乳を出すの?」
「オスだから出さないね」
「お乳を出さない牛はどうするの?」
「…」
そこで姉が一言
ハンバーガーになるのよ」
その一言が忘れられないまま大人に成った筆者は、子牛がどうなるか見届けるために乳牛牧場に赴き、生まればかりのオスの子牛を一頭買い付けます。そして、たびたび子牛のもとを訪れながら、畜産に携わる小牧場や大牧場、牛の子種ビジネス、ミルク産業、牛肉産業、その流通などアメリカの畜産物ビジネスの今を一つ一つ丁寧に描き出して行きます。
こうすると暖かい話に聞こえますが、書かれている内容は想像を絶します。筆者は現場に飛び込んで感情移入してしまっているため、自分の子牛に訪れるだろうわかりきった最期におののいています。自分の子牛が死ぬ、屠殺され、ミンチにされてハンバーガーになるのだという事実におびえながら、その子牛を取り巻くドライな畜産ビジネスの現場を訪れて行きます。
そこにあるのは、従事している人たちにはありふれた日常であっても、端から見たら衝撃的な光景の数々です。とくに、ミルクがよく出るように品種改良された雌の牛の中には、乳房だけが改良されてそれ以外の部位には何の考慮もされていないため、体に障害を持ったまま一生を過ごすものもいます。
「オスの子牛は半年ほどでお肉に…」
のひとことでは語りつくせない、ひょっとするとオスに生まれた牛のほうがましじゃないかと思われるほど、乳牛の品種改良はすさまじく、読みながらひるまずにはいられません。
クラークの長編SF海底牧場 (ハヤカワ文庫SF)には、仏教団体によって隠し撮りされた鯨の解体シーンが公にされ、ショックを受けた世論によって捕鯨が全廃される様が描かれています。この本が出版されてもハンバーガーやミルクの売り上げが打撃を受けなかったことを考えると、人類の神経は巨匠が考えたよりもずっと太いと言えます*2
お勧めの一冊。紹介を書こう書こうとしているうちに2年ほども過ぎてしまいました。

*1:足寄には松山千春看板群とでも言うべき物がある

*2:まぁ、鯨の解体シーンは日本人なら教科書なんかで見てますしね