中学生的「本当は俺も思いついていたんだぜ」物語

あっしは昔、携帯電話の部品業界にいたんでさぁ。

IrDA
携帯電話をIrDA端末(IrCOMMとかIrTPで接続)として使うと、ラップトップから出先でワイヤレスモデムとして使えると提案した。却下。十何年か前の話。いま、そういうのあるんじゃない?Bluetoothか。
電話帳
100件も手でいちいち入れなおしていられない。PCからダウンロードできるようにするとよいと提案。却下。そんなに買い換える人は居ないとも。今はどこ行ってもダウンロードケーブルとソフトは売っている。
質感
無線機無線機しすぎているので、女性がハンドバックから取り出しても違和感のないデザインにしたらどうかと提案。却下。藤原紀香がデザインで選んだKENWOODの携帯が大ブレークする3,4年前*1
提携
質感に合わせて、化粧品会社やアクセサリー会社と提携すると良いと提案*2。却下。その後、メルセデスベンツフェラーリのブランドで出たはず。
サイズ
小型化競争が進みすぎていたので、使いにくい、大きくすべきと提案。却下。その頃の携帯は90gきっていたと思う。iMODE以降、キーパッドの押しやすさと液晶の見やすさが重視されて大型化。
乾電池
乾電池使えると便利なんですけどと提案。却下。でも別の顧客は開発していた(w。
チャージャー
共通化できないんですか?却下。今はされている。
ジェスチャー
携帯を振ると音が大きくなるようなインターフェースはどうだ、と提案。却下。ジェスチャー携帯ってその後出てきたよな。

当時は製品企画より電話会社の資材の顔色を伺いながらどの会社も時間に追われて開発していました。ましてや社外の声など聞かないですな。
こんな自慢話はともかく、パイオニアの初代の携帯電話*3はすごかったです。キーパッドなし*4。全面液晶。タッチパネル式。本当にiPhoneの10年先を行ってました。十分なガイドが表示されるので、マニュアルなしに留守電機能やアドレス帳を使えた最初の携帯です*5

ゲーム
テトリスを入れてくださいと提案。却下。

*1:J-Phoneが当時上り坂にあった藤原紀香を大々的に起用した。その際、大量にばら撒いたパンフだか立て看板だかの写真を撮るにあたって、当時の最新機種を並べて藤原紀香本人に選ばせた。彼女が選んだのがKENWOODの端末。「紀香が持っているあのケータイがほしい」と店頭での指名が殺到して大いに売れた…と、聞いている

*2:時計の手法

*3:DP211 1996年11月発表

*4:3つくらいボタンがあったと思う

*5:世の携帯電話が漢字を表示できたかできなかったかの頃

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