Wikiがいかに素晴らしいか、いかにして新しく創造的な方法で協力できるようにしてくれるか、いかにして集合知を活用できるか――そんなことばかり聞かされている。なんとくだらないことだ。
頭から終わりまで混乱していていらいらがつのる記事ですが、要約するとこんな感じです。
最後の点にしてもきちんとした根拠を挙げているわけではありません。これで金がもらえるとはうらやましい限りです。
筆者がでっかい勘違いをしていることを一つ指摘しておきます。Wikiはコンテンツを作り上げることを目的として使われますが、ML自体はコンテンツを目的としていません。Linux開発者はLinuxを作るための連絡用にMLを使っているだけです。Linux MLをつくりたくてMLに参加しているわけではありません。そう、筆者の誤解はこの一言に集約されます。
Wikiをグループウェアと考えるからおかしなことになるのです*1。WikiはWEBサイトを複数の人間がブラウザで作ることが出来、各ページをキーワードで簡単にリンクできるツールです。それをグループウェアに使おうと考えた人はいますし、グループウェアとして使うことも出来るかもしれませんが、「グループウェアの一種だ」と断じればそれは間違いです。そもそもWikiをグループウェアとして批判した後でMLを賛美するのも変な話です。この筆者はMLをグループウェアだと思っているのでしょうか。
そうは言っても
Wikiを立ち上げても熱心なユーザーがいない限りうまく行かないというのは事実です。実際、長期にわたって活発に稼動している恵まれたWikiなんて少数派ではないでしょうか。立ち上げ時にわっとユーザーが編集してあとは静かになる、なんてのはまだいいほうで、立ち上げても誰も使ってくれないことのほうが多いのではないでしょうか*2。
この点、はてなのキーワードはうまく行っているといえます。おそらく、
ことが成功の要因かと思われます。
社内で同様のCMSやコラボレーション・ツールを使う場合も、うまく行く、行かないがはっきり出ます。使いにくいツールは論外ですが、使い易いツールを渡しても、情報の共有に意味を見出せないメンバーは決して振り向いてくれません。
会社であってもリード・オンリー・メンバーはあまり重要な仕事を出来る人材に育ちません*4から、自分が情報を出すということに価値を見出す人を集めて、少人数で小規模の共有を目指すほうが成功するかもしれません。別にROMを排除する必要はありませんが、ROMにとっての利便性を考える必要はないということです。