なぜ疑似科学論争を読むのか

squeakerさんがおっしゃるように、疑似科学論争を読むのは時間の無駄です*1(id:squeaker:20051015)。ではなぜ私は疑似科学を読むのでしょうか。
夕刻、勤め先の近所の本屋でぐずぐずと時間を浪費することがよくあります。
(疲れているので小難しいものは読みたくない。しかしジャンプもサンデーもマガジンもモーニングも読んだ。主なコミックスも新刊は読んでいて、新たな奴に手を出してもすぐに消費してしまうので金がもったいない。しかし、本を持たずに電車に乗りたくない…)
そういう精神状態を数日も引きずっているとき、ネットで読む疑似科学は最高の快楽です。夜中、部屋の電気を落として独りでディスプレイに向かい、バロウズすら書けないような狂気、人間が知的生物であるという信念が揺らぐような愚行に眼を通せば、これ以上ない愉悦に浸ることが出来ます。
次の日に反動的な精神疲労が来るのがわかっていてもやめられません。疑似科学は嘲る方にとっても麻薬なのです。

*1:しかし、論争を行うことによって疑似科学の浸潤を食い止めようと歯を食いしばっている人への感謝を忘れたくはない

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