ビオラ

今年も春が近づいてきました。

寒さに耐えてよくがんばっていたビオラも陽の光を存分に浴びています。春の日光というのは、不思議なきらめきを持っていますね。

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Pentax K5 + Pentax 300mm F4 ED

えへへ、300mm F4を買ってしまいました。マクロ機能こそついていませんが、最短1.4mです。Sigma 75mm macroが最短25.4cmですから実質七掛けくらいの大きさには移ります。

今年はこれをぶら下げて桜を見に行くとしましょう。

『欲望のめざめ』

うーん。

映像は綺麗なんですよ。でも、ストーリーがパンフレットの煽り文句程度くらいしか無い。薄い。

ストーリーがパンフレットの煽り文句分くらいしか無い映画と言えば、先日観た『バグダッド・カフェ』もそうでした。あの映画は映画館を出た後に(映画が好きで良かった)と思えたのに、この映画は全然そう思えませんでした。

うーん。

生々しくて向き合えないという話

ツイッターで興味深いつぶやきを見かけました。

はやりのバーチャルYoutuberを見た後に生身のYoutuberを見た人の感想。

 凄いなぁ、人類ここまで来ちゃったかーなどとSF風に捕らえてしまいます。

A.C.クラークの短編『神々の糧』には、かつて人間が動物の肉を食べていたということに、耐えられなくなった社会が描かれています*1

しかし、考えてみればそれほど不思議なことでもないかも知れません。

Blogブーム以降、拙blogをはじめとする素人文章が洪水のようにおしよせて来ました。世の出版社の編集を通さない素人文章がその辺に無造作に転がっている時代であるわけですが、それらの中には目を覆わんばかりの酷い文章が沢山あります。わたしたちは既に忘れつつありますが、元々人目に触れる文章というのはプロによる調整がなされてあとの文章であった時代が、つい最近まで続いていたのでした。

似たような話として「編集を通さない人格」というものもあります。ツイッターで作品やインタビューではなく作者や本人の言葉に触れる機会が出てきたわけですが「え、この人って、こんなだったの?」と驚く事もあります。乱暴な話ですが本来生のままでは見るに堪えないような振る舞いの人も、編集部のフィルターを通して調整することで商業出版物の品質となるよう調整されていたのでした。

Youtuberというカテゴリが成立して「素人でも芸能人みたいに人気者になれるよ」と言われるのですが、有り体に言ってこれは調整されていないコンテンツがそのまま人目に触れていると言うことです。2次元という調整フィルタを通したバーチャルYoutuberを見た後に、生身のYoutuberを見てえぐいと感じることは、ある意味当然なのかもしれません。

 

 

*1:歴史的には理解されているが、公の場で口にするのは憚られる事になっている

『バグダッド・カフェ』

近所の映画館で『バグダッド・カフェ』を再上映していたので見てきました。私が上京したころに封切られた映画です。映画好きで知らない人がいないような作品ですが、初見です。以下、ネタバレだらけ。

さて、見たはいいものの困惑しています。って、見たのは先々週なんですけどね。この映画、難しいです。

ストーリーは簡単ですよ。ドイツからやってきた旅行客が、うらぶれたカフェ兼モーテル『バグダッド・カフェ』に活気を呼び寄せる。それだけです。難しいのは、なぜこの映画がこれほど心に残るのか、です。

正直言って、ストーリーはバラバラです。前半頻繁に差し込まれる幻覚的なシーンの意味もよくわからないです。ヤスミンが夫と別れたままなのに、ブレンダが夫と再びくっついた理由がよくわかりませんし、大詰めのマジックショーも楽しくはありますが、ストーリーの上でこれが絶対必要かというとわからない。どうも全体を通して木に竹を継いだような気持ちが悪さがあります。

ただ、ひとつ強く印象に残ったのは登場人物たちが皆、行き詰まっていたことです。要領の悪い夫に苛ついて四六時中怒鳴り散らすブレンダは言うに及ばず、遊んでばかりの娘、ピアノは結構うまいのにこんな田舎でピアノを弾いても意味がないとわかっている息子。ブレンダの顔色ばかり伺っている使用人。一人、悠然と微笑みながら何をするでもないモーターホーム住まいのヒッピーじみた爺さん。そしてバックパックを担いで流れ着き、ブーメランを飛ばす以外に取り立てて何もしない若者。刺青屋の女。

活気がないというより、風に吹かれてこの淀みに集まってきたといった体です。

その連中が同じく風に吹かれてやってきたようなヤスミンとふれあうようになってから少しずつ変わっていく、というのがこの映画の見せ場ではあるのですが、驚くほど唐突です。激しい出来事をきっかけに、何もかもがいきなり上手く行き始める。

しかしながらその唐突さにほとんど不快感がありません。不思議です。普通はわけもなく唐突にストーリーが進むと居心地が悪いのですが。なぜだろう、と考えてみたのですが、私が考えたところでは、ヤスミンが人間を超えた存在であると匂わされていることに原因があるようです。

無論、ヤスミンは人間として描かれています。しかしながら、中盤、突如ピアノの理解者としての立場を打ち立てた彼女は、ピアノのメロディを聞きながら目を閉じます。そして、そのシーンでそれまで怪しいヒッピー崩れといった立場だった爺さんが、突如として彼女の姿にマリア様でも見たかのような態度を取ります。

映画の英語タイトルは Out of Rosenheim。遠くドイツにある天界でうまく行かなかったヤスミンがネヴァダ砂漠まで落とされ、バグダッド・カフェで信者を得た。そう考えるとマジックショーにも、幻影じみたシーンにも、ヤスミンが夫とよりを戻さなかったことも、爺さんがぐいぐいと紳士的になっていったことも、刺青屋が溶け込めなかったことも、ヤスミンに子供がないことすら、納得できてしまいます。

この映画は救世主が現れて人々に救いの奇跡を起こす話だと考えれば(というかどうやら私は映画館でそのように見てしまったらしい)、とても優しくて楽しい映画として受け取ることができました。

こじつけですけどね。

音楽も素敵な、良い映画でした!

 

ネコヤナギが膨らんできた

今年の冬は寒い日が続きました。

2年前に雪かき用に買ったスコップが漸く活躍し、別の週には寒さで冷やして身体を壊すなどしています。年を取るとだんだん冬がこたえるようになりますね。

いっぽう、寒さの方は少しずつ緩み始め、マフラーを着けずに歩く日もあります。

庭ではネコヤナギが膨らみ始めました。

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Pentax K-5 + Sigma 70mm macro

「綿毛が可愛いから」

と家内が植えた苗です。

こうして冬の終わり頃に赤くなり、やがて白い綿帽子にかわります。大変可愛いのですが我が家の土にあったらしく、数年の内に大きく育ってしまいました。閉口した家内は枝を概ね刈り込んでしまいましたが、今年もこうして春を迎える準備をしています。

上意下達と隠蔽体質

ちょっと前に「重役が身分を隠して自社の現場に潜入する」という番組がありました。全体的に甘ったるい結末ありきの番組でしたが、ひとつ気になったことがあります。それは、多くの会社で現場と中央の乖離が激しかったことです。

あまりにも多くの会社でお決まりのパターンとなっていたのが

「本社から勝手な方針ばかり押し付けられる。改善案や抗議をしてもまったく聞いてくれない」

というものです。実際には本社の管理部門にも言い分はあると思いますが、多くの職場では現場が蓄えた知見が無視され、たんに本社の管理部の方針が押し付けられていました。そしておしなべて重役がいうわけです。

「しらなかった」

と。

さて、今年も恵方巻き騒ぎです。

www.j-cast.com

コンビニが仕掛けたと言われる恵方巻き。

私はそんなものがあるなどつい最近ブームになるまで知りませんでした。そして1,2年、恵方巻きというと名前とは裏腹に、SNSでは誰も幸せにはならない社会の歪みの象徴のように取り上げられています。アルバイトは店にノルマを課せられたと言い、本部は我々はそんなことはしていないと言いはる。そもそもコンビニのフランチャイズは本部が利益だけ吸い上げて責任は店に押し付けるという構造になっているため、その歪みが噴出しているとも言えます。

さて、この2つに共通している問題は、下から上への抗議や提案がブロックされるという隠蔽体質です。本来現場から上がってくる抗議や提案は、ビジネスの問題を解決する上で重要な情報であるべきですが、実際には多くの組織でそれはら「不都合な情報」として握りつぶされる傾向があります。

これは多分、日本人という民族に染み付いた拭いがたい悪癖です。不都合なことを隠してひたすら下を鞭打つことでその場を取り繕うという愚行は、旧海軍では最終的に国を転覆させる規模で行われました。が、それは特定の組織の例外的問題として目をそらすには、あまりにも多くの場所で行われています。

おそらく、日本で組織を作るなら独立した抗議・意見吸い上げ組織をはじめから作らなければならないでしょう。

内部告発をしたら、告発した相手から呼び出された」

という耳を疑うような話を時折聞きますが、これなども、どれほど握りつぶしが黙認されているかをよく表している話です。組織の健全化、長期的な効率化を考えるなら、隠蔽体質を阻止する仕掛けと教育は必須だと考えています。

ハボタンとシクラメン

例年、この時期はシクラメンの小鉢を買い求めています。

私が子供の頃はシクラメンというと大きな鉢に豪華な株が植わっていたものです。まぁ、本物は見たことありませんでしたけれどね。最近は品種改良が進んだというか、日本人向けなのでしょう、かわいらしいミニシクラメンが広く出回っています。なぜか小さいと安い。

主に白いシクラメンを買っていたのですが、今年は何の気まぐれかシクラメンを買わず、ハボタンを買いました。

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Pentax K5 + Sigma 70mm macro

ハボタン。小学生の頃、冬の花壇に植わっている植物と言えばパンジーとハボタンでした。子供心に何が良いのかさっぱりわからず、ものの本で調べると花では無く葉を観賞すると。何とまぁ、馬鹿馬鹿しいと思ったものです。

それから40年経って、どうやらようやくハボタンの良さがわかる年になったようです。

さて、そんなわけで今年はシクラメンの無い冬だったのですが、何の偶然かお世話になったか方が一鉢送ってくださいました。

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Pentax K5 + Sigma 70mm macro

フリルのシクラメンとは珍しい。賞を取ったカンパーナという品種だそうです。確かに開く前の姿が鐘のようですね。普通のシクラメンは開ききると花弁がピンと上に伸びて美しいのですが、この品種は開く前の姿をめでるようです。

さて、今年もサボりまくったまま年の瀬となりました。皆さん良いお年を。

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